日本各地を旅する男のブログ
 

旅する男たくまの旅の記録

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【2013.10.11 Friday 】 author : スポンサードリンク
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野麦峠 全体像と個人と

近代日本は、繭から生糸を製造する製糸業が盛んでした。

室町時代中期以降、生糸は中国からの輸入に依存していましたが、江戸時代中期にその輸入が制限されたため、国内生産が盛んになりました。

幕末の開国による異国文化の受容により製糸業は器械化され、明治〜大正にかけて急速に発展し、日本の代表的輸出産業になりました。
なんでも、最盛期には、その生産率は世界の80%を占めたとか。

そんな日本国内で最も製糸業が盛んだったのが長野県です。

工場の働き手となる女子が全国各地から長野にやってきました。
長野の製糸業の中心だった岡谷では、人口およそ7万人の半数近く、3万人以上が女工だったと言います。

近代日本で華々しい活躍をみせた製糸業ですが、その支え手たる女工の労働条件はかなり悪かったと言います。
女工の多くは13〜15歳の少女で、粗悪な食事、低賃金、長時間労働という悪条件で酷使され、病気でも休むことは許されなかったそうです。


以上は小学校の歴史の教科書でも出てくる内容ですが、こうした概説を読むだけでは歴史の臨場感はなかなか伝わりにくいものです。



岐阜県北部の飛騨地方と信州長野県の県境に野麦峠というところがあります。
標高1672mのこの峠、昔から飛騨と信州を結ぶ道が通じています。

飛騨は、近代、多くの女子を女工として長野に出稼ぎに出したところで、野麦峠はそんな彼女たちが通った道でした。

20061006_152717.jpg
(野麦峠周辺)

野麦峠は女工哀話の地として有名です。

昔、両親の元を離れ信州に出稼ぎに行った一人の女の子が、過酷な労働で身体をこわし倒れてしまいます。
工場の待遇は冷たく、働けない者をいつまでも置いておけないから迎えにくるよう実家に伝え、少女の兄が迎えに行くことになりました。

兄は妹の元に行き、やつれ果てたその子をおぶって野麦峠を越え故郷飛騨へ連れて帰ろうとしました。

20061006_152716.jpg
(野麦峠の像)

簡単に峠を越えると言っても昔は4〜5日を要したそうで、弱り果てた少女にはとても過酷なものでした。

飛騨、信濃の国境の野麦峠にさしかかった少女は、故郷の方を見て

「ああ、飛騨が見える」

と言って絶命しました。


これは本当にあったはなしです。

20061006_152715.jpg
(野麦峠から見た飛騨の山々)

実際に野麦峠の地に立ち飛騨の山々を見渡すと様々な想いが去来してきます。

死の間際、故郷を遠く眺めて若い命を散らせた少女心。
妹の死をみとった兄の無念。
娘の遺体を迎えた両親の悲しみ。
その他、青春期を工場の重労働に費やした少女たちとその周囲の人々。

暮れる飛騨の山を見渡していると、いつの間にか涙が流れてきたたくまでした。


歴史学は、個人史でもない限り、その時代の全体像を構築する学問です。
文章にするとこの記事の冒頭のような感じになり、ともすれば当時生きた個人の存在を忘れてしまいそうにもなります。

野麦峠は、歴史を学ぶ上でもっとも大切なことをたくまに思い出させてくれた気がします。
【2006.10.06 Friday 23:56】 author : たくま
| 東海・北陸 | comments(7) | trackbacks(0) |
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【2013.10.11 Friday 23:56】 author : スポンサードリンク
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この記事に関するコメント
ホント切ないですね。文章読んでいるだけで涙が出ます
(┬┬_┬┬)
学校で教わる歴史には躍動感がなく、つまらなくて結果赤点ばかりでしたが、今になると、その裏には人間一人一人の人生が詰まっていて、いろいろな活躍と犠牲の上に今の自分が存在しているんだなと感じることができます。
| 豚子さん | 2006/10/07 12:30 AM |
現場に足を運んで、流したたくまの涙に、
彼女達の魂は少し癒されたと思う。
| アネゴー | 2006/10/07 4:58 AM |
豚子さん
ほんとですね。
ある程度歳をとって初めてわかるのかも知れませんね。

アネゴーさん
だといいけど。
最近は涙腺が弱くなったのか、よく一人観光地で泣いてます(;¬_¬)
| たくま | 2006/10/07 10:27 AM |
なんだかなぁ、何とも言えないですよねぇ。
やつれた兄弟迎えに行くなんて…想像しただけでも、辛い。
| cojiro | 2006/10/07 5:51 PM |
cojiroさん
ほんとですね。
肉親ネタはかなり悲しいです。
| たくま | 2006/10/08 2:14 AM |
私の祖母は岡谷の生糸工場で働いており当時の状況をいろいろ話してくれました、地元から働きに行っていた人と買われてきた人とでは待遇が全然違ったそうです、あまりに辛くて岡谷の釜口水門と小坂漢音と下諏訪の石投げばから身投げする女工さんが後を絶たなかったそうです、江戸時代諏訪はおんせんまちで女郎や遊郭が沢山あり女性を集めるシステムがあったため。千葉周作の伝記にも諏訪の遊郭に気をつけろと書いてある。
| 高野 | 2012/04/20 8:19 PM |
高野さん
コメントありがとうございます。

当時のことを知るお身内がいらっしゃるとは、他人事の歴史ではないですね。
このような悲劇がまた起きないよう、切に願う次第です。
| たくま | 2012/04/22 11:04 PM |
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