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【2013.10.11 Friday 】 author : スポンサードリンク
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松陰神社 祀られる幕末の偉人


「幕末に活躍した人物で、誰が好きですか?」

このように質問したとき、長州の偉人、吉田松陰をあげる人も多いでしょう。
本日紹介するのは、その松陰が祀られる山口県萩市の松陰神社です。


【松陰神社鳥居】

たくまが松陰神社を詣でたときは折り悪く雨天。
しかし、その雨が打ち水のように辺りを湿らし、清潔な境内がかえって美しく映えていました。


【松陰神社境内】


さて、吉田松陰は、山口県萩市、かつての長州藩に生まれた思想家です。
彼の思想の特徴は、天皇を中心とした国家体制を理想とするものであり、
当時の幕藩体制を否定する過激なものでした。
幕府に目を付けられた松陰は、安政6年(1859年)、危険分子として処刑されました。
享年30歳でした。


【松陰神社拝殿】


松陰は有能な教育者としても有名です。
久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、山県有朋など、
長州、日本を代表する傑物が彼に師事しました。
そして、その弟子の多くは、松下村塾という私塾で教えを受けました。


【松下村塾1】


現在、その松下村塾は、松陰神社の境内に建っています。
というより、松陰神社が松下村塾の近くに建立されました。


【松下村塾2】

名立たる幕末の志士がココで自己研鑽に励んでいたんですね。

さて、松陰神社が松下村塾の近くに建立されたということは、当然、
松陰神社の由来はそう古くはありません。

松陰神社の前身は、松陰の死後、身内が造った土蔵の祠。
それが、明治40年(1907年)、松下村塾門下生だった伊藤博文らの働きで
公の神社に認定され、松陰神社として現在地に建立されたのです。


ところで、明治に新しくできた神社は、ほとんどがある趣旨に沿って建立されています。
その趣旨とは、旧幕府を否定し、明治新政府を肯定するというものです。
例えば、後醍醐天皇やその配下を祭神にした神社が明治時代に多く建立されていますが、
これも上の趣旨にのっとっていました。

具体的にどういうことかと言うと、
後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒し、政権を武家から天皇の元に取り戻した人物です。
足利尊氏の反乱によって政権はまた武家に移ってしまいますが、
一時とはいえ、後醍醐天皇による天皇親政が実現したわけです。
明治新政府は、後醍醐天皇やその配下の業績を自らの姿と重ね合わせました。

「天皇親政(後醍醐天皇=明治新政府)v.s武家政権(足利尊氏=江戸幕府)」

という図式です。
つまり、後醍醐天皇を善、足利尊氏を悪と評価することで、
江戸幕府を倒した明治新政府を正当化しようとしたのです。
後醍醐天皇やその忠実な配下を祭神とした神社は、
まさにその正当化論理を背景に建立されたのです。


じつは、松陰神社も、そうした論理で建立された典型的な神社です。
先にも言ったように、吉田松陰の思想は天皇を中心とした国家体制を理想とし
幕藩体制を否定するものだったので、彼の知名度もあいまって、
祭神として祀られることになったのです。


こうした神社の状況も、すでに100年も前のこと。
「へ〜、そんなことがあったんだ」
と、遠い昔の話を聞いているような気になります。

しかし、100年前の政策が、現代の私たちの価値観に、
いまだに深く根付いているのではないかと思います。
例えば、この記事の冒頭で、

「幕末に活躍した人物で、誰が好きですか?」

と書きましたが、この一文をなんの違和感もなく読む人も多いのではないでしょうか?
しかし、この質問は、実は非常に主観的です。
幕末の有名人が「好き」であることを前提に話を進めているからです。

世界で最も戦争を憎んでいるであろう日本人として、当然、
幕末から明治初期に起こった様々な戦いを悲しい事件であったと考える人は多いでしょう。
しかし、その割には、「薩長は多くの日本人を無駄に死に至らしめたひどいやつらだ」
といった言説はまったく耳にしないのではないでしょうか。

別にたくま自身が薩長を憎んでいるわけでありません。
しかし、「誰が好き?」という質問が違和感なく聞こえてしまうほど、
薩長の評価は善に偏っているように思うのです。


なぜ明治政府の批判はほとんどなされないのか?
個人的には、神社の建立などを通じて明治新政府を正当化した論理が、
無意識に私たちの中に受け継がれてきているような気がしてなりません。

受け継がれているのは良いことなのか悪いことなのか?

明治から続いてきた「日本」という国の一員として、今を生きる日本人として、
悪いとばかり評価する必要もないとは思いますが、
今の日本は、明治政府の攻撃を受けた東北の人々、
侵略され尊厳を失ったアイヌ、琉球人、
彼らの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならないと思います。

幕末の偉人を無批判に英雄化しない。

「日本」を知ろうとしたとき、これはとても重要な姿勢だと思います。

【2008.09.29 Monday 18:15】 author : たくま
| 中国・四国 | comments(2) | trackbacks(1) |
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【2013.10.11 Friday 18:15】 author : スポンサードリンク
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この記事に関するコメント
先輩、勉強になります。
そして、僕は来週所員旅行で松蔭神社に行ってきます。
| たっきー | 2008/09/30 10:25 PM |
たっきー
>僕は来週所員旅行で松蔭神社に行ってきます。

まじで?
なかなかマニアックなとこ攻めるな。
さすがたっきー所属の事務所(笑)
| たくま | 2008/10/01 7:22 PM |
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| 吉田松陰と幕末の志士 | 2008/10/14 10:15 AM |
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