旅する男たくまの旅の記録
現在地は青、すでに訪れ た土地は緑、全ての 予定を完了した土地を黄で示していきます。
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山口県西部の下関市豊北町、その海にほど近い砂丘上に土井ヶ浜遺跡はあります。この遺跡に何が眠っていたかというと、数百人に上る“人”です。そう、土井ヶ浜遺跡は、弥生時代に営まれた集団墓地なのです。これまで、11次にわたる発掘調査で、300体余のほぼ完全な弥生人骨が確認されたそうです。「300体余」と言われても、それが多いのか少ないのかピンとこない方もいらっしゃるかも知れませんが、はっきり言ってめちゃくちゃ多いです。弥生時代の人骨が残っていること自体がすごいです。発見された弥生人骨の総数を全国的にみたとき、実は、その9割は山口県西部と九州に集中しています。これは、その他の地域に弥生人がいなかったという訳ではなく、乾燥した砂丘や砂に混じった貝粉などのおかげで九州・山口西部の人骨の保存状態が非常によかったことによります。一般常識とも言える面長な弥生人の形質的特徴は、実は、直接的にはこの一部の地域の骨を情報源にしているだけだと考えると、なんだか不思議な気もします。さて、現在遺跡には、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムなるものが建っています。【土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム】このミュージアム前の原っぱ一帯は遺跡であり、その一角に、弥生時代の遺構を保護しつつ見学できるようにするための覆屋が設けられています。遺跡の景観を守るために、屋根の上には砂をかぶせてあります。【覆屋】この覆屋の中の遺構(墓)に、弥生人骨のレプリカが発見当初の形で安置されています。かなりリアルです。【覆屋内部】さて、土井ヶ浜遺跡の大きな特徴のひとつは、その葬法のバラエティ。弥生時代の人々がいろんな葬られ方をしていました。【8ヶ月の胎児と共に葬られた女性】【胎児】【再葬された人たち】再葬とは、一度遺体を葬り、白骨化して後、再び葬り直すことです。一度葬ったきりだと骨は頭から足までつながった状態ででてきますが、頭だけ集められているこれらは、意図的に再葬されたことを物語っています。【並んで葬られた人たち】【石を並べて造った箱型石棺に葬られた人】【生前に抜歯をしていた人】これらの人たちはほんの一部。他にも、多くの人たちが、様々な方法で葬られてたようです。ところで、みなさんはこれらの人骨を見てどのように感じるでしょうか?おそらく「骨なんて見るだけで怖い」という人も多いと思います。しかし、もしもその骨が不特定な人のものではなく、かなり身近な肉親のものであったならばどうでしょう?きっと、「怖い」とはまったく別の感情がわきおこってくることでしょう。肉親のものであろうと見知らぬ人のものであろうと、骨は骨。特別な違いがあるはずはありません。なのに、それを見たときに抱く感情の違いはなにゆえ生じるのでしょうか?ひとつ言えるのは、骨を見たときの感想は、その人の主観にゆだねられるということです。骨を骨とみるのか、命のあった誰かと見るのか。人骨が元人間であったことはまちがいありません。しかし、骨という“物”に人間を見出せるかどうかは、みる人の考え次第だと思うのです。おそらく、人骨の研究は、ひとつひとつの骨に“個人”を見出そうとするのが前提になっているのだと思います。また、お墓の研究は、骨になった人だけでなく、その人を葬った人々の想いを読みとろうということなのでしょう。そう考えると、胎児と共に葬られた女性、並び埋められた人たち、箱式石棺に葬られた人。まるで亡くなった人とそれを葬った人たちの息吹が聞こえるようではありませんか。さて、こうした視点は、きっと骨に対してだけではないんでしょうね。生きている人間に対しても、同じようなことが言えるんだと思います。骨を“物”と思うように、個人の存在を軽視すれば、そこに差別が生まれます。逆に、過大に評価すれば、ひとりの人間を神にさえ思ってしまう。自分にとって周りの人や社会はどういう存在なのか?それを知るには、自分自身がどのような主観をもって周りを見ているのかを知る必要があります。なにごともまずは自己分析から始まる。個人的にはそう思っています。