日本各地を旅する男のブログ
 

旅する男たくまの旅の記録

現在地は、すでに訪れ た土地は、全ての 予定を完了した土地をで示していきます。

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【2013.10.11 Friday 】 author : スポンサードリンク
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今津元寇防塁 緊張感あったりなかったり

福岡の地は日本の中で大陸に最も近く、あらゆる文物がこの地から日本に上陸してきました。
そして、鎌倉時代、元の国が攻めてきたのもやはりココ福岡だったのです。


元寇といえば、みなさんご存知のように、元が二度にわたって日本に攻めてきた戦いです。
一度目は1274年、文永の役と呼ばれています。
なんとか撃退したもののこの戦いで危機感を増した鎌倉幕府は、慌てて国内の防備を整えます。
その一環として、博多湾岸には約20キロにわたる石築地の防塁が造られました。
この防塁は、1281年の弘安の役では重要な防衛拠点となったそうです。

今日紹介するのは、なかでも特に保存状態のいい今津地区の元寇防塁です。



静かな今津の浜辺から海を見渡す。


【今津の海】


この海にひしめき合うほどの軍船が渡ってきたなどとても想像できない。
が、それが歴史的事実である。

今津の浜辺はとても広い。


【今津の浜辺】

この浜辺どころか、20キロもの長距離を防塁でかためていたなんて、これまた想像できない。
が、それもまた事実。
この一帯で戦闘が行われ、敵味方何人もの人間が死んでいったのだ。

この地の歴史を体感しようとなるだけ生々しく当時をイメージしてみる。

砂浜は血で真っ赤。腕やら足やら首やらがいっぱい落ちていて、どなる声やうめく声が入り乱れている。
人一人死んで大騒ぎする日常の価値観なんてそこではまったく通用しない。
あ〜やだやだ。戦争なんてしたくね(--;

これから見る史跡が戦跡であることをしっかり確認し、防塁があるであろう浜辺の松林に入っていく。


【松林の中】


海岸に沿ってこんもりと茂る松林だが、石築地と思しき遺構は見当たらない。
地面にはゴツゴツの石が敷かれているが

・・・あれ?これ?

むき出しの立派な石積みを想像していたたくま、やや肩透かしをくらった感。

なんだ〜埋まってんのか〜

ぶつぶつ言いながら石のラインを追っていると、




おお!




おおお!!




おおおおお!!!
発掘されてんじゃん!
なかなかの迫力じゃん!


さっきまでの緊張感はどこへやら、先人が残した旧跡を純粋に楽しむただの歴史バカになっているたくま。

・・・でもまあ、これはこれでいいじゃん。
緊張感あったりなかったり。
要は使い分けよ・・・

言い訳じみた理論を展開しつつ、次の史跡へと向かうたくまなのであった。
【2008.02.05 Tuesday 20:44】 author : たくま
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岩戸山古墳 
今日の遺跡は福岡県八女(やめ)市にある岩戸山古墳です。


【岩戸山古墳遠景】


八女古墳群のほぼ中心に位置する九州最大級の前方後円墳、岩戸山古墳。
上空から見るとその大きさが一目でわかります。


【岩戸山古墳の空中写真】


さて、遺跡が公園として保護されている場合が多いことは何度か紹介しましたが、ココ岩戸山古墳も一帯は公園として整備されており、たくまが訪れたこの日、あたりは近隣の住民の方たちがそれぞれゆったりした時間を過ごしていました。
そしてその中には、遠足中の園児たちの姿も。


【遠足中の園児】


市民の憩いの場で写真を撮りまくる薄汚いヒゲ面の怪しい男。
これまでも逃げられたり疑いの眼差しを向けられたりと、公園に一種のトラウマを抱えていたたくま。

早く抜け出さねば(--;

足早に集まりを抜けようとしたところ、たくまの背後から聞こえる妙なかけ声。

「いっち、に、いっち、に、いっち、に、いっち、に、いっち、に、・・・」

振り向くと、2人の園児がかけ声とともにたくまに並んでついてきているではありませんか。

汽車ごっこ?(--;

いつのまにか園児の遊びに参加させられていたたくま。
戸惑うたくまを気にもとめず、テンポよくリズムを刻む後列車の園児たち。

「いっち、に、いっち、に、いっち、に、いっち、に、いっち、に、
さん!!

突然変調したかと思うと、そのまま途中下車しどこかへ走り去っていってしまった園児たち。

子供に逃げられたことは何度かあったが、後をつけられたのは初めてだぜ(--;


そして、岩戸山古墳のそばに到着。
近くから見てもやはりでかい。


【古墳の周堤】



【前方部から後円部をみる】


岩戸山古墳には、隣接して「別区」というところがあります。
空中写真で、古墳のすぐ左にある四角い広場がそうです。
その別区の一角にはこのような集団が。


【石製の埴輪】


どうですか、このユニークないでたち。
決して先ほどの園児たちが造ったものではありません。
1400年以上も昔にこの地域の有力者のために造られたものです。


【埴輪(石人)】


【埴輪(馬)】


さて、本日、岩戸山古墳を紹介したのは、ただでかいからでもかわいい埴輪があるからでもありません。
これが非常に重要な歴史的意義をもっているからです。

それは、この古墳が、
古い文献からも確認できるということです。

細かく言うと、『日本書紀』の注釈書である『釈日本紀』が『筑後国風土記』から引用したとする文に(『筑後国風土記』自体は現存しない)、古墳の所在、規模、被葬者、埴輪の特徴などが書かれており、それが岩戸山古墳と酷似しているのです。
(ちなみに、被葬者は「磐井の乱」で有名な筑紫国造磐井)
日本全国古墳は多しと言えど、文献から確認できるものは非常にまれなのです。

もっとも、被葬者が伝承として伝え残っている古墳は数多くあります。
しかし、学問としての歴史は、ただ言い伝えられているだけではそれを真としません。
より説得力ある証拠が出て初めてその可能性を認めるのです。


歴史学のこの姿勢には大変学ぶべきところがあります。

自分が関わる家族、友人、仕事、社会。
自分から見た一面だけで判断、評価してしまっていないだろうか?
ちゃんといろんな角度から見ようとしているだろうか?
岩戸山古墳の歴史に、深く自省するたくまなのでした。
【2008.01.29 Tuesday 01:24】 author : たくま
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福井洞窟 時間と空間をまたぐもの
今日は長崎県の福井洞窟をご紹介します。


福井洞窟は、緑豊かな山の中、佐世保市福井町に位置します。



【稲荷神社】

上写真は福井洞窟への入り口。
そう、福井洞窟は、いま、稲荷神社の神様が鎮座する信仰の地なのです。



【稲荷神社(遠景)】

写真中央やや左に二棟の建物がご確認いただけると思います。
手前の大きい建物が拝殿、奥の赤い屋根の建物が本殿、典型的な神社の構造です。


【稲荷神社(近景)】


このブログに長らくお付き合いくださっている方にはくどい話しですが、自然崇拝をその根底におく神社において、神様が鎮座するその場には、それなりの意味がありました。
人知を超越した構造を持つ山、滝、樹木、そして、洞窟などが、神の宿る依り代と考えられ信仰の対象となったのです。
ココ稲荷神社の本殿もまさに福井洞窟の内部に建てられています。
古い信仰の形態を今に残しているのかも知れません。


【本殿(福井洞窟)】


【本殿(洞窟内部から)】



さて、個人的興味で信仰対象としての福井洞窟をご紹介しましたが、一般的に、福井洞窟は、旧石器時代から縄文草創期にかけての遺跡として有名です。

昭和11年、社殿改築のため洞窟内の土が1mほど掘削されたおり、土器、石器、人骨等が発見されました。
それを町の郷土史家が学会に発表したのをきっかけに、昭和35年から三次にわたって発掘調査が行われ、6m近く掘り下げられた結果、最も古いもので旧石器時代にあたる2〜3万年前の石器が見つかりました。

福井洞窟が注目されたのはただ古いからだけではありません。
中期旧石器時代から縄文時代にかけての層が連綿と続いた状態で残っていたのです。
これは、つまり、その地域の時代の移り変わりを福井洞窟だけである程度確認できるということであり、このような遺跡にはなかなか出会えるものではないのです。


福井洞窟の考古学的な評価はネットでも調べていただくとすぐに分かると思うのでココではこのくらいにして、個人的な思いをつれづれなるままに。


先にも触れたように、現在の福井洞窟は神社です。
この洞窟がいつから信仰対象となったのかは分かりませんが、ココと同じように、聖地となっている洞窟から人が居住したり墓として使われたりした痕跡が確認できるケースは結構あります。

そういった洞窟はいつから信仰されるようになったのでしょう?
先祖の家や墓であったことと(先祖崇拝的な)関連はあるのでしょうか?
なかなか調べようもないですが、「続いていたらな〜」なんてロマンを持ってしまいます。


ところで、福井洞窟の旧石器、縄文時代までいかないとしても、神社は、弥生時代くらいまでその起源を遡れるのではないかと考える人は多いです。(もちろん、縄文まで遡ると考える人も少なくありません)
しかし、現在の神社(神道)と弥生時代の信仰のありようは大きく異なっているに違いありません。
そうなると、「神道」ってなに?という疑問もおのずとわいてきます。

時間的連続性があるからといって、1000年以上前の神道と現在の神道とを同列に扱えるのかという問題です。


こうしたことはなにも神道に限らず他のことでも言えます。
なんでもいいんですが、例えば、日本酒。

言わずと知れたジャパニーズ・サケですが、いま最も人気の吟醸酒などは、戦前はありませんでした。
吟醸酒は、米の精米技術の躍進によって生まれた酒で、昔の技術では造れなかったのです。

吟醸酒も日本酒、戦前の酒も日本酒。

「日本酒」と呼ばれるもののバリエーションは、吟醸酒、純米酒、本醸造といった現在のものとそのルーツとなる先祖酒
時間軸と空間軸をあわせた視点で考えるほうがより深い理解につながるのだと思います。


こうした視点って日常生活の中で関係ないようで実は結構あったりします。

たくまはいま、グルクンクラブというラクビーチームに所属していますが、もう引退された先輩方もたくさんいます。
現役プレーヤーにとってのグルクンクラブとOBにとってのグルクンクラブは時間も空間もまったく別のチームですが、「グルクンクラブ」というひとつのものです。
時間的連続性が、ふたつの(あるいはもっと多くの)チームをひとつのチームとして認識させるのです。

この認識は、ときに衝突を生み、ときに絶大なパワーを発揮します。

時間と空間をまたいだ「グルクンクラブ」の多様性。
その認識が客観性を生み、負のパワーを抑えよりよい方向を模索する手助けになるのだと思います。


しかし、こうした視点で見たときに最もおもしろいのは、「自分」です。

今の自分とよちよち歩きだった頃の自分とはまったく別の人物。
なのに同じ「自分」
この視点はなにを生み出すでしょうか?

たくまは、おそらく、一生これを考え続けているでしょう。



話しがだいぶ外れてしまいました。

タイトルの「福井洞窟」とサブタイトルの「時間と空間をまたぐもの」は直接関係ありませんでしたが、か〜んべ〜ん。
【2007.08.22 Wednesday 01:10】 author : たくま
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隼人塚 祀る側と祀られる側
長らく更新していない上に最近のネタは旅に関係のないものばかりでしたが、今日は久しぶりに旅日記を更新します。
ご紹介するのは、鹿児島県霧島市の隼人塚です。


隼人塚に入る前に、まずは簡単に隼人(ハヤト)について。

隼人は、古代南九州に存在した部族と言われ、5世紀には大和朝廷に帰属していたとされています。
独自の文化を持っていたようで、このような独特な模様の盾も見つかっています。


【隼人の盾(レプリカ)】

余談ですが、今、日本には、アイヌ、琉球、大和の3民族がいると漠然と思われていますが、古代には、さらに多様な民族模様がみられたようです。
(「民族」という概念が日本に適しているかどうかも問題ですが)

さて、隼人は、その独自性ゆえか、大和朝廷に対してたびたび反乱を起こしました。
中でも720年の「隼人の乱」は最大で、大隅国(現鹿児島)の国守を殺し、一年数か月にわたって抵抗を続けました。



今日紹介する隼人塚は、乱において殺された隼人たちの霊を慰めるために築かれたと言われるものです。


現在の隼人塚は、発掘調査ののち修復され史跡公園として管理されています。


【隼人塚史跡公園】



【修復された隼人塚】


逆光でどうにも見にくい写真ですが、塚の中心に三つの五重塔、そのまわりに四天王像が安置されています。


【修復された隼人塚別角度】



【四天王像】


発掘前、隼人塚の建立年代には諸説ありました。
奈良時代であるとか、平安時代であるとか、明治以降に近隣から寄せ集められたものであるとか。
しかし、今では、発掘の成果や近隣の同形式の石塔の年代などから、もともと今の場所に平安時代後期(11世紀)ころ建立されたものだと考えられています。

ちなみに、修復前の姿はこんな


【修復前の隼人塚】

修復のために新造された部分はごく一部で、ほとんどがオリジナルの石材でできています。
すばらしい



さて、これは、隼人塚史跡公園の一角にある隼人塚史跡館を訪れたときの話。

名前のとおり隼人塚に関する展示がある施設なのですが、たくまが行ったとき、たまたま男女2人のゲストが館内の職員にガイドしてもらっていました。
これはチャンスと聞き耳を立てるたくま。
その案内の中で、ゲストの女性がとても興味深い質問をしていました。


「なんで隼人は自分たちの信仰で慰霊してもらえなかったんですか?」


つまり、隼人は独自の文化、信仰を持っていたはずなのに、なぜ塔や四天王などの仏式の慰霊がなされたのかということです。


「・・・さあ、なんでですかねえ」

素人の突拍子も無い質問に面食らった様子の職員。
たしかに、そんなことを聞かれても

「作った人が仏教徒だったから」

としか答えようがないっちゃない。
しかし、個人的に、すごく大事なテーマがそこに隠されているように感じました。


それは、隼人塚には、祀る側と祀られる側の二つの視点があるということです。


討伐を受けた祀られる側の隼人からすれば、殺された上に訳の分からない宗教で慰霊されても「いらん世話じゃ」という感じでしょう。
隼人塚の成立は、「隼人の怨霊は仏教の力で抑えられる」であろうという、祀る側大和朝廷の一方的な目的、思惑からきているのです。



生きている人間が死んだ人間をどう解釈しどう祀るのか。
この問題は、実は、現代においてもまったく無縁のものではありません。

例えば、戦後、沖縄はアメリカ領となりますが、生き残った沖縄の遺族が亡くなった身内を靖国神社へ大勢で参拝に行くという動きがありました。
「祖国復帰」を掲げていた沖縄の人々にとって、戦争で亡くなった親族は日本人であることを強調する必要があったのです。
生き残った人々にとって亡くなった人々は日本人であるべきだったのです。

逆に、身内が靖国で祀られることを嫌う朝鮮の人々もいます。
今の彼らにとって戦争で亡くなった身内は日本人ではないわけです。
一方で、靖国にとっては、そこに祀られている人は日本のために戦った英霊以外の何者でもないわけです。


亡くなった人と話はできないので、慰霊のあり様が生きている人間の主観に依ることになるのは当然ですが、意外にそれを意識することは少ないのではないでしょうか?

亡くなった人々に何かを想おうとしている自分に気付く。
それだけで、また一味違った意識を持てるかもしれません。


今年もやってきた終戦の雰囲気に、ややもの思いにふけるたくまでした。
【2007.08.10 Friday 21:10】 author : たくま
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U・S・A in 北谷
今日の晩御飯は、久しぶりに北谷(ちゃたん)という町で日本代表さんと外食。
行ったのはカレー屋さん。

この店に初めてくる日本代表さんに

「この店、アメリカ人多いんだよね」

と説明しつつ入店。
米軍基地が近いのだ。


ところが、入ってみると、多いどころか、20人近くいる客の全てがアメリカ人。

「え〜(--;」

ちょっと引き気味の日本代表さん。


店員に案内され席につく。
日本的内装の中、飛び交う英語。
ものすごい違和感。

カレーはいつのまにこんなにアメリカ人に支持されるようになったのだ。
インド人もびっくりだ。


それにしても、アメリカ人もいろいろいるが、中でも声がでかい子はほんとにうるさい。

(店内ではしゃぐな!)

心の中でしかる日本人たくま。


しばらくすると店員が注文を取りにきたが、

(この人、外人?)

と思うほどつたない日本語だった。


注文したカレーがくるまで二人で挙動不審。
この国は日本でも、この空間はまちがいなくアメリカだ。

新たな日本人客を期待すれども集まるのは米国人ばかり。
と、そのとき、ついに一人の日本人女性が来店。
たくまの後ろの座席に座った。

(よし!ココから反撃だ!)

と思いきや、注文後、おもむろに英語の新聞読み始める女性。

(日系か!?)

心中、タカ&トシ的ツッコミを入れずにはいられないたくま。
戦況いまだ変わらず。

それにしても、沖縄でみかけるアメリカ人は、黒い子と白い子がつるんでいる姿をめったに見掛けない。
なんとなくお国柄を見る思いだ。


たのんだカレーが運ばれてきて食べていると、日本代表さんが愕然とした顔で一人のアメリカ人を見つめている。
見ると、その彼は、納豆カレーを食べていた。


「ま、負けた(T^T)」

がっくりとうなだれる日本代表さん。
どうやら納豆が食べられないようだ。


結局、勢力図は一切変わることなく晩御飯は終わった。
敗戦に心がボロボロになった日本代表さんを支えつつ撤退したたくまであった。

「完敗じゃ〜(T^T)」
by日本代表
【2007.07.15 Sunday 22:40】 author : たくま
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眼鏡岩 過去の足跡と現代の爪痕

「お前さあ、眼鏡岩とか行ったら?」

長崎県佐世保市の旅で、当地出身のT田氏が佐世保バーガーの次に推してきたのが眼鏡岩だった。
名前から察するに、そのまんま、2つ穴を持つ岩なのだろう。

信仰など人の営みが見て取れないただの自然の造形には正直あまり興味のないたくま。
「眼鏡岩」はその類と勝手にイメージし、さしたる期待もなくT田氏への義理とばかりに向かったのであった。


眼鏡岩への入口は国道沿いにすぐ見付かった。

20070406_268461.jpg
【眼鏡岩公園案内板】

どうやら公園になっているらしい。

眼鏡に例えられるような岩は海の波で浸食されて形作られたものが多い。
なので、海岸に向かうのかと思いきや、道は小高い山を上って行く。
そして、次の看板が、にわかに、たくまのハートに火をつけた。

20070406_268462.jpg
「これより先は西蓮寺と眼鏡岩の参道です」

西蓮寺!?参道!?
これは、もしかして、眼鏡岩とは磐座(いわくら:神の降臨する岩)の類か!?


駐車場に車を止め、西蓮寺の山門に至る。

20070406_268463.jpg
【西蓮寺山門】

山門はくぐらず、寺をぐるりとまわりこむ形で裏の眼鏡岩公園へ向かう。
2、3分でそれらしき場所へ到達。
大きな銀杏が出迎えてくれた。

20070406_268464.jpg
【眼鏡岩公園】

さて、問題の眼鏡岩。
銀杏の木を通り越し右方を見上げると、それはあった。

20070406_268465.jpg
【眼鏡岩】

圧巻。
これはすごい。

20070406_268466.jpg
【眼鏡岩別角度】

地元では、寝惚けた鬼が背伸びして両腕を伸ばした時岩に穴を空けてしまったという伝説が残っているそうだ。


右穴の径約5m、左穴の径約8m。
穴を通る階段も自然石を削って作ったものだ。

20070406_268467.jpg
【階段】


その水道橋のような天然の造形が生み出された背景には、何か人知を超越した大きな意思があったのではないかと思ってしまう。
そして、それは、たくま一人だけの思いではなく、はるか昔の人々も同じように感じていたのかも知れない。
岩には無数の梵字や仏が彫られ、かつての信仰を今に伝えていた。

20070406_268482.jpg
【眼鏡岩の仏と梵字1】

20070406_268483.jpg
【眼鏡岩の仏と梵字2】

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【眼鏡岩の梵字1】

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【眼鏡岩の梵字2】

これらの梵字は弘法大師によって彫られたと伝えられているそうだ。


梵字ひしめく眼鏡岩の穴の向こうに台状の岩があり石仏が立ち並ぶ。

20070406_268486.jpg
【石仏】

意識的に演出されているのかどうかはわからないが、壮大な天然の門をくぐると慈悲深き仏が待ち受けているといった感じだ。

しかし、驚きなのは、この台座の岩にしろ階段にしろ、すべて眼鏡岩とつながったひとつの巨大な岩であるということだ。
この岩は、眼鏡部分より南北に長く延び、北側では高い絶壁を成している。
想像を絶する巨岩だ。

20070406_268487.jpg
【北の絶壁】


こんなすばらしいものを、まさかT田氏の紹介で見られるなんて。
疑ってごめん、T田(笑)


それにしても残念なのは、梵字以上に多く刻まれた現代の落書きの数々だ。

20070406_268488.jpg
【落書き】

こんなに立派な磐座は全国でもなかなかお目にかかれないが、これほど落書きのひどい磐座も初めて見た。

自然や神仏に対する畏怖の念は薄れ、当時の信仰の足跡は現代の爪痕にかき消されていく。
その爪痕さえも将来は歴史的遺産になっていくのかも知れないが、なんだかやる瀬ない気分をぬぐえないたくまであった。
【2007.04.06 Friday 15:26】 author : たくま
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佐世保バーガー

大変長らくお待たせいたしました。
久々に更新します。

これからしばらく九州編。
今日は長崎県佐世保市の話し。

佐世保と言えば、東京の上野動物園に一緒に行ったラグビークラブのチームメイトT田氏の故郷。
前々から、T田氏に

「佐世保に行くんだったら佐世保バーガー食べてきてよ」

と言われていた。

た「うまいの?」

T「わかんねえよ」

た「なんじゃそりゃ?おすすめなんちゃうんかい」

T「俺食べたことないもん」

た「食べたことない〜?」

T「俺がいたときは、まだ佐世保バーガーなんてなかったんだよ」

た「あ、そうなん?ほなまあ、食べて見るわ」


以上のような会話を覚えていたので、佐世保に入るとまずは佐世保バーガーの店を探した。


しかし、佐世保バーガーをよく知らなかったので少し調べてみると、戦後、佐世保にできたアメリカ軍基地のアメリカ人からハンバーガーの作り方が伝わり、この地で流行ったのだそうだ。
日本で初めてハンバーガーが作られたところとも言われ、今もって多くの市民に好んで食されているようだ。
飲酒後の食べ物と言えばラーメンが代表的だが、ココ佐世保ではハンバーガーを食べるのだとか。

しかし、確かにハンバーガーの歴史は日本最古だが、「佐世保バーガー」の名称は近年生まれた。
観光客への宣伝のため、佐世保のバーガーを総称する必要から付けられたものだそうだ。
T田氏が佐世保バーガーを知らなかったのにも納得。


携帯で佐世保バーガーの店情報を調べ、直感で「ミサロッサ」というお店に。
国道から少し入ったところに簡単に見つけた。

メニューを見て驚いたが、ハンバーガーの種類が実に豊富。
値段もピンキリで、400〜2500円くらいまであった。

2500円のバーガーは実に気になったが、極度の節制旅行だったので、さすがにそれは断念。
適当な値段のミサバーガーとベーコンエッグチーズバーガーを購入した。

「節制とか言いながら2つ買ってんじゃん」

なんてつっこまない。
本当に久々のご褒美だったんだから


20070402_264800.jpg
【ミサバーガー】

20070402_264801.jpg
【ミサバーガー中身】


20070402_264802.jpg
【ベーコンエッグチーズバーガー】

20070402_264803.jpg
【ベーコンエッグチーズバーガー中身】


食後、T田氏に感想を述べる。

た「佐世保バーガー結構うまかったで!」

T「ふ〜ん。そうなんだ。」

リアクション薄すぎ(--;)
自分から食べろって言ったくせに


佐世保の街が生んだ、ハンバーガーとテンションの低い男の話でした。
【2007.04.02 Monday 00:32】 author : たくま
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亀山社中跡 やられたバイ

今日は久々に九州の旅長崎編をお送りします。


長崎市は坂が多いことで有名ですが、たくまは自転車で旅をしました。
もちろん、駐車場代を節約するためです。

覚悟はしていましたがきついのなんの。
ひぃひぃうめきながらペダルをこいでいると交通整備のおじちゃんに笑われる始末。

そんなに非常識なことだったのかしら?(--;)

中でももっとも苦労してやっとのことたどり着いたのが亀山社中跡でした。



亀山社中とは、1865年、薩摩藩の援助を得て坂本龍馬が設立した貿易結社で、海援隊の前身です。
犬猿の仲だった薩摩と長州の武器と食糧のやりとりを仲介し、倒幕の原動力となった薩長同盟に大きな役割を果たしました。


この亀山社中跡もなかなかの高所にあるのですが、たくまの持っていた大雑把な地図ではだいたいの場所しか分からず、とりあえず山を上って行けば見つかるだろうと頑張って自転車をこいで行ったのでした。

しかし、最高点を過ぎ下りに差し掛かってもそれらしいものは一向に見つかりません。
案内板さえ姿を見せず、行けども行けども住宅地。
通りすぎた可能性を考慮してまた引き返し上ってみましたが発見できず、結局景色だけ写真におさめ下山しました。

20070310_250055.jpg
【山上からの景色】


ところが、後から見つかったのです。
「←亀山社中」の看板が。
矢印の指し示す方向は、たくまが無駄に上った山のふもと。
やはり上り口を間違えていました。

そして、ようやく見つけた亀山社中へと続く階段。

20070310_250056.jpg
【亀山社中への上り口】


通常であれば、この旅でいろんな山を制してきたたくまにとってこの程度の坂は何でもありません。

しかし、この日は、朝早くから休むことなく自転車で市内を散策し、ココにたどり着いたのが午後4時前。
無駄な登山もあって太股パンパン膝ガクガク。
でももうすぐ日が暮れるので急がなければならない。

そんなときにこの坂は現れたのです。


ハァ〜(--;)

げんなりしてみたところで旅は終わらない。
自転車を置き階段を上り始めるたくま。

乱れる呼吸。
早まる動悸。
もはや上げているのが誰の足なのか分からない不愉快な感覚。

これも修行の一貫だ

自らを奮い立たせながら歩くたくま。

いつから修行の旅になったの?

なんてツッコむ人がいたらモチベーションは一気に0になっていたことでしょう。

ふと気付くと、観光客への気遣いか、龍馬らしき絵に一言そえた看板が道のあちこちにあります。
ひとつひとつ読んでみるとこれがまたツッコミどころ満載。


20070310_250057.jpg
【長崎は龍馬の匂いで一杯だ
“よろしくう”と響いて来る】

わざわざ「う」までつけて「よろしく」を押してるわりには57577になっている訳でもない。
何を伝えたかったのじゃ?
せめて匂いとかけろよ。


20070310_250058.jpg
【龍馬通り リリーフ参上 心機一転】

どこにいんだよリリーフ
歩くの代われ!(--#


20070310_250060.jpg
【強くて優しい龍馬さん
私もなりたい龍馬さん】

あ〜もうなんでもなってくれ(--;)
(↑疲れて投やりになっている)


ココで少し変化のある看板。

20070310_250062.jpg
【「Welcome! 亀山社中へ100m」の看板を持つ近藤長次郎さん】

長次郎さん怒るぞ(--;)
しかしあと100m!


20070310_250063.jpg
【新発見 龍馬の軌跡が 道標】

お、やっとちょっとましな言葉が。
何が新発見なのか気にならんでもないが。


20070310_250065.jpg
【よし行くぞ やる気十分 輝く未来】

とうとう龍馬関係なくなっちゃった


20070310_250067.jpg
【「ようこそ! 亀山社中へ60m」の看板を持つ陸奥宗光】

陸奥さんキレるぞ(--;)
しかしあと60m!

20070310_250084.jpg
【もうじきバイ 亀山社中は すぐそこバイ】

「バイ」って長崎の友達も確かに言うけど、こうやって書かれたらイラッとするのはなぜ?(--#
(それはあなたが疲れているから)


20070310_250085.jpg
【世界にとどけ私の夢を でっかい希望に燃えている】

「を」ってなによ!?
龍馬はどこよ!?


20070310_250086.jpg
【柔と剛 そなえし龍馬は 世をうれい】

「うれい」…なに!!?(--#


疲れによる看板への八当たりがピークに達するころ、やっとのことで亀山社中のある通りへ到達。


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【「おつかれさまです 亀山社中は左です」亀山社中へ誘う石田英吉】

英吉さん悲しむぞ(--;)
しかし着いた!


石田英吉の看板から進むこと10m余り
あった 亀山社中跡

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【亀山社中跡】

やった!長かった(T^T)

足のだるさに比例して喜びもひとしお。
早速入ろうとすると、何やらおかしな雰囲気。

門が…開かない(--;)
もしかして休館?

と思っていると、かたわらに何やら看板が

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【「亀山社中跡の閉館について(お知らせ)」】

なぬ〜っ!!Σ( ̄ ̄;)

まさかの閉館
疲れに比例して憤りもひときわ

てか、ふもとで知らせろよ!(--#

怒り狂うたくまに駄目押しのこの看板

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【よかったと 心にきざむ 探訪路】

きざむかあっっ!!(--#


旅の時間がおしているたくま。
ゆっくり怒る暇もなく次の史跡に向かおうとすると、こんな案内が

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【「日本最初の龍馬のぶーつ像」】

ぶーつぅ?(--;)
しかも「日本最初」って
他に誰が作るんじゃ?

せっかく上ってきてこのまま下りるのもなんだかしゃくなので行ってみました。

その途中にも例の龍馬看板が

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【我・龍馬・君も龍馬だ 日本を拓く】

わ〜い 龍馬デビューしちゃった♪
「・」の意味わからんし♪


そして、これが龍馬のぶーつ像

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【龍馬のぶーつ像】

うむ。でかい

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【龍馬のぶーつ像アップ】


周りに人がいないのを確認し、こっそりぶーつをはいてみるたくま。

斜面にぎっしりと家が建ち並んだ長崎の街を眺めつつそっと呟く。


やられたバイ 亀山社中に 完敗バイ


次の日、足が強度の筋肉痛になったのは言うまでもない。
【2007.03.10 Saturday 20:45】 author : たくま
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こんな神社にご奉仕したい

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【カステラ神社】

所在地、長崎市
祭神、加須底羅大神。
創建年代、不詳


遠く海の果てポルトガルより伝わった外来神である。

窟状の地下に向かってのびていく参道に、日本古来の岩窟という場に対しての信仰が垣間みえる。

稲荷社を思わせる赤鳥居が立ち並んでいるが、これは、稲の神とされる稲荷大神とカステラの神である加須底羅大神とが共に重要な食物の神であることから、始め加須底羅大神が稲荷社に合祀され、後に稲荷大神の存在が忘れ去られてしまったとする説が有力である。





信じちゃやあよ
【2007.02.24 Saturday 00:54】 author : たくま
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長崎 平和の爆心地

この歴史はあまりに重く痛ましいので、正直なところ個人的にはあまり触れたくないのですが、日本人として避けては通れないのでお話します。


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言わずと知れた長崎平和公園の平和記念像です。

天を指した指は原爆の脅威を、水平に伸ばした手は平けく安らけく平和が広まることを意味しているのは有名です。
それ以外にも、自分は初めて知ったのですが、ごつい身体は絶者の神威を、柔和な顔は神の愛、仏の慈悲を、軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈る姿を表しているそうです。
さらに、折り曲げた右足は瞑想すなわち静を、立てた左足は救済すなわち動を意味し、いずれも神仏の特性を表現したものだそうです。

芸術音痴のたくまにはよくわかりませんが、説明を聞くとよくできた像な気がします。

それにしても、観光地であるのはわかりますが、笑顔でピースして記念撮影している人たちにはかなりの疑問を覚えます。
何を感じているのやら(--;)
どうせなら深刻な顔でpeaceしてもらいたい。


平和公園の後に資料館に行ったのですが、自分の家族や愛する人や子供が目の前で焼けただれていると思うとただただ涙が溢れてきました。
生き残った人々のやり場のない怒り、悲しみ、苦しみはいかほどのものだったでしょう。
想像だにできません。


平和公園のすぐ近くに爆心地を示すモニュメントがあります。

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【爆心地】


この真上に原爆が落とされたわけです。

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ココを中心にして、波紋が広がるがごとく、同心円状に数千度の熱風、爆風が長崎の街、人を一瞬にして呑み込んでしまいました。



1945年8月9日、円の中心は原爆でした。
が、長崎の街は今、その中心を平和への想いに置き換え、世界へ波紋を広げていっています。

願わくばこの温かい爆風に世界が包みこまれんことを。
【2007.02.21 Wednesday 22:08】 author : たくま
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