日本各地を旅する男のブログ
 

旅する男たくまの旅の記録

現在地は、すでに訪れ た土地は、全ての 予定を完了した土地をで示していきます。

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【2013.10.11 Friday 】 author : スポンサードリンク
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華厳寺 突然の冬

冬「今年も交代の時期がきたか。あと頼むぜ」

春「…うん」

冬「どったの?うかない声だして」

春「いや、うかないわけじゃないけど…お前なんか忘れてね?」

冬「なにを?」

春「ほら、俺が代わるとき、毎年ちょっと残ってるじゃん」

冬「ん?」

春「白くてさ、音もしねえのに『しんしん』とか言ってるやつよ」

冬「あ゛〜!?…やっべ忘れてた」

春「俺はまあいんだけど」

冬「いや、よくねえよ!悪い、代わるのちょっと待って」


このようなやりとりがなされたかどうかはわからないが、3日前の夜、岐阜県では突然雪が降り始めた。

そのときちょうどたくまは岐阜県の墨俣(すのまた)に滞在中。
朝5時に起きて外を見ると少しだけ積もっていた。


5時という早い時間に起きたのには理由があった。
前日の名古屋国際女子マラソンで立ち往生するのを避けるため岡崎、名古屋の史跡をとばしていたので、朝渋滞する前に戻って終わらせようとしたからだ。

それでも、結局、名古屋の渋滞にひっかかり、岡崎に着くまでに3時間以上かかった。
名古屋に雪は降っていなかったが、風がとにかく冷たくて手は常にかじかんでいた。
それでもそれなりに順調にまわり、愛知制覇をまずは成し遂げた。

そこから再び岐阜県へ。
岐阜での目的地は揖斐川町谷汲の華厳寺。
798年に建立された西国三十三ヶ所巡り最後の札所だ。

そこへ向かう途中、時折パラパラと降っていた雨がみぞれになってきた。
気温をしらせる電光掲示は2度となっている。

どうりで

華厳寺につくと、昨夜降ったのであろう雪が多少残っていた。

20070314_252407.jpg
【華厳寺仁王門】

華厳寺の参道は木々がおいしげりとても荘厳。
あいにくの天気がかえって雰囲気をかもしだす。

20070314_252408.jpg
【参道】


参道脇に華厳寺の境内案内図が。
それによると、ななななんと!
本堂の真裏に岩の絵が描かれているではないか。

20070314_252409.jpg
【案内図】

「立岩」と名付けられたその岩、日本古来の自然崇拝の名残である可能性がある。

これは是非とも拝見しておかねば!

足早に参道を進む。
熱くなるたくまのハートとは裏腹にみぞれはいつの間にか完璧な雪へと変わっていた。

本堂に到る。

20070314_252410.jpg
【本堂】


この日慌てて準備されたのであろう落雪注意の看板が本堂前に出されていた。

20070314_252412.jpg
【落雪注意の看板】


見上げると、確かに、今にも滑り落ちそう。
危険じゃ(--;)

20070314_252413.jpg
【本堂屋根の雪】


本堂で礼拝をすませ、さっそく立岩のある裏山へ通じる道を探す。

あった

20070314_252422.jpg
【裏山への階段】

さて、喜び勇んで登り始めたのはいいのだが、ココからが大変だった。

舗装された道はすぐに終わり、雪積もる山道が続く。

20070314_252424.jpg
【山道】

先程のみぞれは雪に変わり本格的に降り始めていた。
地面は雪か雪解け水。
どちらに足を踏み入れてもたくまの通気性バツグンの夏用靴には面白いほど水が侵入してくる。

20070314_252425.jpg
【地面】

足首まで感覚は麻痺し、冷気は心臓まで締めつける。
でも平気
たくまは寒さに強いのだ


でも、でもね、立岩は一体いつになったら現れるわけ?


案内図ではかなり近そうだったが一向にそれらしいものは見当たらない。
見付からないまま20分ほど歩くと、なにやら階段が現れた。

20070314_252426.jpg
【階段】

どうやらココからが本格的な登山になりそうだ。

なんとか立岩を一目拝むまではと上り始めようとしたたくまであったが、階段横の看板が目に入る。

20070314_252427.jpg
【看板】

「体調・天候・時刻等、全て良好ですか?
家族等にこのハイキングを告げてきましたか?」

う〜む、時刻もそろそろ五時だし、体調の項目しか満たしていないぞ(--;)


あえなく断念。
なんとなく逃げたような気になるのを、

「無茶はしないこと」ってかーちゃんに言われたし
これも親孝行のひとつだ

とごまかしつつ帰路につく。
旅の終盤で自分の慰め方を身に付けてきたたくまであった。
【2007.03.14 Wednesday 20:26】 author : たくま
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思わぬ伏兵
静岡を終了いたしました。
最近早起きして動いているので、なかなかいいペースでまわれています。
今日に愛知県の東側を終らし、明日から名古屋をまわる予定だったのですが…

さきほど見かけたとあるスポーツ新聞

「明日号砲 名古屋国際女子マラソン」

マラソンかぁ
弘山と大南のデットヒート見たいなあ

っておい!名古屋かよ!?Σ( ̄□ ̄;)


名古屋は一昨年来たときも52年振りだかなんだかの大雪に見舞われたし。
なんか恨みでもあるの?(T^T)
【2007.03.10 Saturday 14:21】 author : たくま
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野麦峠 全体像と個人と

近代日本は、繭から生糸を製造する製糸業が盛んでした。

室町時代中期以降、生糸は中国からの輸入に依存していましたが、江戸時代中期にその輸入が制限されたため、国内生産が盛んになりました。

幕末の開国による異国文化の受容により製糸業は器械化され、明治〜大正にかけて急速に発展し、日本の代表的輸出産業になりました。
なんでも、最盛期には、その生産率は世界の80%を占めたとか。

そんな日本国内で最も製糸業が盛んだったのが長野県です。

工場の働き手となる女子が全国各地から長野にやってきました。
長野の製糸業の中心だった岡谷では、人口およそ7万人の半数近く、3万人以上が女工だったと言います。

近代日本で華々しい活躍をみせた製糸業ですが、その支え手たる女工の労働条件はかなり悪かったと言います。
女工の多くは13〜15歳の少女で、粗悪な食事、低賃金、長時間労働という悪条件で酷使され、病気でも休むことは許されなかったそうです。


以上は小学校の歴史の教科書でも出てくる内容ですが、こうした概説を読むだけでは歴史の臨場感はなかなか伝わりにくいものです。



岐阜県北部の飛騨地方と信州長野県の県境に野麦峠というところがあります。
標高1672mのこの峠、昔から飛騨と信州を結ぶ道が通じています。

飛騨は、近代、多くの女子を女工として長野に出稼ぎに出したところで、野麦峠はそんな彼女たちが通った道でした。

20061006_152717.jpg
(野麦峠周辺)

野麦峠は女工哀話の地として有名です。

昔、両親の元を離れ信州に出稼ぎに行った一人の女の子が、過酷な労働で身体をこわし倒れてしまいます。
工場の待遇は冷たく、働けない者をいつまでも置いておけないから迎えにくるよう実家に伝え、少女の兄が迎えに行くことになりました。

兄は妹の元に行き、やつれ果てたその子をおぶって野麦峠を越え故郷飛騨へ連れて帰ろうとしました。

20061006_152716.jpg
(野麦峠の像)

簡単に峠を越えると言っても昔は4〜5日を要したそうで、弱り果てた少女にはとても過酷なものでした。

飛騨、信濃の国境の野麦峠にさしかかった少女は、故郷の方を見て

「ああ、飛騨が見える」

と言って絶命しました。


これは本当にあったはなしです。

20061006_152715.jpg
(野麦峠から見た飛騨の山々)

実際に野麦峠の地に立ち飛騨の山々を見渡すと様々な想いが去来してきます。

死の間際、故郷を遠く眺めて若い命を散らせた少女心。
妹の死をみとった兄の無念。
娘の遺体を迎えた両親の悲しみ。
その他、青春期を工場の重労働に費やした少女たちとその周囲の人々。

暮れる飛騨の山を見渡していると、いつの間にか涙が流れてきたたくまでした。


歴史学は、個人史でもない限り、その時代の全体像を構築する学問です。
文章にするとこの記事の冒頭のような感じになり、ともすれば当時生きた個人の存在を忘れてしまいそうにもなります。

野麦峠は、歴史を学ぶ上でもっとも大切なことをたくまに思い出させてくれた気がします。
【2006.10.06 Friday 23:56】 author : たくま
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前方後方墳

今日は古墳の話をします。

古墳と言えば代表的なのが前方後円墳。
わかると思いますが、鍵穴の形をしたやつです。
外国ではほとんど見られない日本独特な墳墓です。
その他、オーソドックスなものとして、円墳、方墳などがあります。

ところで、前方後円墳がなぜこの名で呼ばれるのかご存知でしょうか?
なぜ円が前で方が後ろとされているのか?

じつは、これにはさほど重要な意味はありません。
江戸時代のある学者が前方後円墳を見たときに、「宮車」のような形だと言ったことが由来になります。

「宮車」とは一種の牛車のようなものだったとか。
前方後円墳を横(ななめ上)から見た時に、円の部分が人の乗るところ、方の部分が牛に連結する所と見たそうです。

牛車は牛が引っ張って行きます。
つまり、方の側が進んで行く方向、つまり前であると。
ゆえに、前方後円墳。

それから今に至るまで前方後円墳と呼ばれているわけです。
なかなか適当なものですね。


ところで、前方後円墳ならぬ前方後“方”墳をご存知でしょうか?
その名の通り、前も後ろも方なんです。

前方後円墳よりも規模は小さめですし、あまり知られていませんが、意外と全国各地で見られます。

20060930_147704.jpg

これは、富山県富山市の王塚古墳です。
前方側から後方側を撮ったものなんですが、前方後円墳と違い、後方部分に角があるのがおわかりいただけるでしょうか?

王塚古墳の測量図がこれです。

20060930_147706.jpg

こんな形をしているんです。


こちらは長野県松本市の弘法山古墳。
松本市内を一望する山上に築かれています。

20060930_147707.jpg

前方部から後方部を見るとこんな感じ。
はっきりと角が確認できます。

20061001_147710.jpg

次は、後方部分から前方部分を見た写真。
背景の街は松本市です。

20061001_147712.jpg

しかし、この写真、前方部なのに角が4つあるように見えませんか?(--;)
素人のたくまには、これは前方後方墳ではなく、方墳×2なんじゃないかとも思えてしまいますが、一応、前方後方墳ということです。


古墳には様々な形がありますが、その形の違いにはどのような意味があるのでしょう?

前方後円墳や前方後方墳などの比較的大型のものと、方、円墳などの小さなものとでは時代差があると考えられています。

どちらが古いと思いますか?

前方後円墳などは古墳時代前期のもの、方、円墳などは中期以降に姿を現します。

考古学では、基本的に、手のこんだ作りのものが段々簡略化されていくのが一般的だと考えられているみたいです。
これは古墳に限らず土器や陶磁器などでもそうです。
(もちろん根拠はありますが)


では、同時代に混在した前方後円墳と前方後方墳の形の違いは何を意味するのでしょうか。

大和朝廷における身分差を表すとか、民族の違いを示すなどの説がありますが、はっきりしたことはわかっていません。


科学的学問と言われる考古学ですが、文献の残らない時代の全体像を構築するのはなかなか難しいのが現実のようです。
【2006.09.30 Saturday 23:57】 author : たくま
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神の山 白山(後編)

奥宮遥拝所からさらに上を目指す。
「奥宮まであと30分」という情報を入手。

(あと少し!)

しかし、本当にきついのはココからだった。

さらにひどくなる雨。
加えて、ちょっとした台風のように吹き荒れる強風。
しかもその風、冷凍庫から出てきたかのような冷たさ。
露出した顔が非常に痛い。

真冬の雨の中、薄着でバイクに乗っているような感じだ。
こんな寒さ、痛さは過去にもそう体感した覚えがない。

(山をなめてた(;¬_¬))

後悔先に立たず。

しばらく進むと、特徴的な岩が道をふさぐようにむきだしている。

20060929_146743.jpg

「青石」と名付けられたその岩、「天上界と地上の境界」を示すものらしい。
これも一種の磐座と言えるのかも知れない。

どうしようもなく寒いが無視して通るわけにはいかない。
雨にやられないようデジカメを守りつつ、息を止め震える身体を制御し、かじかんだ手でシャッターを押す。
これだけ悪条件だと写真一枚撮るのも大仕事だ。

天上界側からもう一枚撮る。

20060929_146747.jpg

よく目を凝らすと右上の方になにやら刻まれている。

20060929_146756.jpg

磨崖仏だ。
いつの時代のものかはわからないが、ココにこの向きで彫りこむ意図がわからない。
今ではそれそのものが文化として見られる磨崖仏も、さらに古い磐座信仰からしてみれば迷惑な話だ。

天上界に入りもう奥宮もすぐそこにあるはずだが、なにぶんココは雲の中。
10m先さえよく見えない。

先がわからない、予想がつかないという不安。
この旅でずいぶん慣れたはずだが、こう寒くては普段の倍ストレスがある。

(まだか〜まだか〜)

なかばゾンビのように呟きながら登るたくま。
そして、ついに、奥宮を視界にとらえた。

20060929_146785.jpg

(つ、ついた?…ついたどー!!(T^T))

要した時間、2時間30分。
バスの運転手には4時間かかると言われていたが、成せば成るものだ。

嬉しいには嬉しいが、あまりの寒さで登頂を喜ぶ余裕もないたくま。
急いで神様にご挨拶し、さっさと写真を撮る。

奥宮から10mほど上が三角点だが、その方向を見ると、なんと、人が一人立っている。

20060929_146786.jpg
(左から二番目の棒のようなのが人)

見ていると、微動だにせず、ずっと黙祷している。
カッパを着ているのでたくまよりはずいぶんましな格好ではあるが、

(す、すごい(--;)
きっと名のある霊能者に違いない)

霊能者は決めつけであるが、その所作ひとつひとつがただ者でないことを物語る。

すごいとは思ってもとても真似はできたもんじゃない。
急ぎ下山の途につくたくま。

(さらば白山の神よ、また会う日まで)


下るにつれ失われていた手足の感覚が戻ってくる。
生き返る思いだ。

帰り始めたのが4時すぎ。
完全に日が沈むのが7時前だとしても、あと2時間ちょっとはある。
5時最終のバスには間に合わないが、駐車場まで帰るのは大丈夫だろう。

途中、登りで抜いた人たちとすれ違う。
駆け下りるたくまを見て驚くおじさん。

お「なん往復したの!?」

た「は?1往復ですけど?」

お「あんまり速いから3往復くらいしてんのかと思った」

どうやら何かの仕事で歩き回っていると思われたらしい。
確かに格好も登山客っぽくはないが…

至って順調に下り、バス停辺りについたのは5時30分ころだった。
だいたい4時間で往復した計算になる。

(山なめてたけど自分もなめてた!俺すげえ!)

このおごりが自らの首を締めることになるとは、このときのたくまに知る余地もない。


バス停から自分の車を置いてある駐車場までルートは二つある。
ひとつはバスが通うアスファルトの道、もうひとつは禅定道(ぜんじょうどう)という、昔、白山参拝に使われた歴史的旧道だ。

(同じ帰るなら、せっかくだからその旧道を通ってみよっかな♪)

自分の足に自惚れたたくまはこんなとんでもない決断をしてしまったのだ。


禅定道に足を踏み入れたたくま。
歩いてみると、山頂付近よりよほど聖域らしい。
荒々しい岩肌が露出し、大木がそれに絡み付いている。
祭られている岩も多く、このあたりも白山の聖域としてとらえられていたことが容易に想像できる。

道もたくまがハイペースで往復できたような生ぬるいものではなく、場所によってははしごがかけられているくらいだ。

(スゲェー♪)

思わず興奮するたくま。
事の重大さに気が付いたのはこの写真を撮ったときだった。

20060929_146787.jpg

(うお〜、すげえ崖。
にしてもずいぶん暗くなってきたなあ



あとどのくらいかかるんだろう(--;))

日が暮れるまでには帰れる。
まったく根拠なしに漠然とそう信じていたたくま。

(こんな崖っぷちで真っ暗なったら…(--;))

雨はずっと降り続いている。
日が暮れるのは早い。
月明かりも望めない。

慌てて走り出すたくま。
「走る」と言っても、当然平地のようにはいかない。
それでもとにかく急ぐ。

しかし、暗闇に山が飲み込まれるのに、もうそれほど時間はかからなかった。


真っ暗になる直前に見た案内板

「駐車場まで3.2km」

光は一切ない。
ただ雨音のみが得られる感覚だ。
道はおろか、すぐ隣にあるはずの木や岩さえもわからない。
戒壇巡りの暗さを大自然の中で味わうたくま。


(こ、これは、)

なんでしょう?

(もしかして、)

はいはい?

(プチ遭難というやつでは?(--;))

ご名答☆


(頑張って帰るか、朝まで待つか、それが問題だ)

とりあえずバッグの中をまさぐるたくま。

(なにか使えるものはないか?)

こんな時に限って懐中電灯を忘れている。
雨で濡れるので携帯は置いてきた。
ライターなんか使える訳がない。
あるのは…

(デジカメか(--;))

電池を代えたばかりだったのが不幸中の幸い。
再生モードにして辺りを照らしてみる。
それでも、

(何も見えない(--;))

デジカメの微弱な光は闇の中にただ吸い込まれるだけだ。
それでも、頼るのは

(こいつしかいない!)

デジカメを地面スレスレに近付け足元を照らす。
足先20cmほどがなんとか見える。

川で泳いだばかりのように全身ずぶ濡れのたくま。
山頂じゃなくてもなかなか寒い。
できることなら帰りたい。

(行けるとこまで…行ってみよう(--;))

決断するたくま。
とは言え、一歩踏み外せば命の保証がないような地形のところだ。
慎重に、極めて慎重に歩を進めて行く。



どれほど時間が経っただろうか。
ゆっくり進んでも、何度も道をそれ薮に入り込み、幾度も足を滑らせ岩に叩きつけられた。

「暗いのが怖い」
そんな感覚はみじんもない。
ただ生きることに必死。
怖がる余裕もないのだ。

しかし、とうとう見つけた。
あのまばゆい光は

(駐車場だ!!)


今の日本で光を見つけて心底喜んだことのある人がどれほどいるだろう。
まるで昔話の世界だ。
しかし、電気のない時代の人たちにとって、光は本当にありがたいものだったのかも知れない。

沈んだ太陽が明日また昇ってくれるようにと祈る信仰は世界中で見られるという。
それは、一所の信仰が伝播した結果ではなく、各地で独自に自然発生的に生まれたものだという。

太陽に対する想い、願い。
それは、多くは生産に関するものとして考えられているが、単純に、暗闇への恐怖、光への渇望の念も込められていたのかも知れない。


とにもかくにも、無事生還したたくま。
この日MVPのデジカメに熱烈なキスを送り、二度と山をなめることがないようきつく自分を戒めるのであった。


おしまい♪



余談ですが、帰りに、身体を温めるため、自販でココアを買いました。
ボタンを押した瞬間、その隣のミルクティーにすればよかったと後悔したのですが、なんと、ルーレットが当たってもう一本サービス。
両方買えました♪

これは白山の神様が

「お疲れ、もう無茶すんなよ」

と言ってくださったものと勝手に思い、大事にとってあるのであります(笑)
【2006.09.29 Friday 22:26】 author : たくま
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神の山 白山(前編)

福井、石川、岐阜の三県がちょうど交わるあたりに、富士山、立山(たてやま)と共に日本三霊山のひとつにあげられる白山(はくさん)がそびえています。

霊山というだけあって古くからの聖地で、山そのものがご神体として崇められてきました。
修験者たちもココで厳しい修行をしたそうです。

「白山」と言ってもそれは一つの山を指すわけではなく、神体山(神が憑依する山)である御前峰(ごぜんぽう)、大汝峰(おおなんじみね)、別山(べつざん)の三山を総称した呼称です。

神仏習合の時代は仏教色が強かった白山ですが、明治の神仏分離で神社に属し、それ以来、白山比め神社(しらやまひめじんじゃ、「め」は「口」+「羊」)の神体山として祭られています。

白山比め神社自体は山にはないのですが、御前峰の山頂に白山比め神社の奥宮が建っています。

導入が長くなりましたが、今日お届けするのは、その奥宮を参拝したときの話しです。



たくまが白山に行ったのは9月の中旬、まだTシャツでも寒くない時期だった。
前夜から天候がやや崩れ始め、その日も降ったりやんだりのすっきりしない天気。
標高2702mの山に登るには少し気がひけるが、そんなことも言っていられない。

高い山とは言え、海抜0mからスタートするわけではない。
パーキングに車をとめ、そこからバスが15分ほどで登山口へ運んでくれる。
午前中なぜかのんびりしていたたくま、バスに乗り込んだときはすでに1時をまわっていた。

バスの中にはたくましかいない。

「お客さん、」

話しかけてくる運転手のおじさん

「今日はお泊まりですか?」

(なぬ!?Σ( ̄ ̄;) と、泊まり?)

登山の常識をまったく知らないたくま、この時間が泊まらなければならないほど遅いことにやっと気付かされる。
当然泊まる予定はない。

しかし、見栄っ張りのたくま、運転手の質問に動じたそぶりは一切見せず

「そうですね」

と軽く答えてみせる。

「そりゃそうでしょうなあ!この時間なら泊まりですわなあ!」

元気なおっちゃんの声が痛い。
それにしても、

(もう少し情報が欲しい(--;))

ので、内心ドキドキしながら

「だいたい山頂までどのくらいかかりますかねえ?」

と軽い口調でたずねてみる。

「そうですなあ、三時間じゃいかないでしょうなあ。雨も降ってるし四時間くらいかかるかも知れませんなあ」

(…よ、四時間(--;))

クールな面持ちをキープしながら頭の中で一生懸命時間を計算するたくま。

(登りをなんとか三時間で頑張って、下りはバス停までくればなんとかなるか?)

そうなると気になるのはバスの最終便。
会話の流れからスムーズに聞き出す。

「…へ〜、大変なんですね〜。バスはいつも何時ごろまで出してるんですか〜?」

「5時が最終ですね」

またもや頭は計算モード。

(いま1時過ぎ。山頂4時過ぎ。どう頑張っても無理か(--;)
でも道はつながってるから歩いて帰るか?)

などと考えているうちにバスは出発。
登山口についたのは1時40分だった。
帰りバスに乗ろうと乗らまいと、

(ぼやぼやしてると日が暮れちまう!)

慌てて出発するたくま。
登山口の白山比め神社の鳥居をくぐる。

20060929_146048.jpg

時間も気になるが、天候も気になる。
登山口付近はいま小降りだが

(山頂はどうなってんだ?)

山を見上げるたくま。

20060929_146049.jpg

厚い雲に覆われてなにも確認できない。
雨は覚悟しておいた方がよさそうだ。


登山開始して間もなく、下山してきたおばさんとすれ違う。
登山は登り優先が基本だが、細い道にも関わらず、おばさんは一向に道を譲る気配がない。
いや、譲らないのではなく譲れないのだ。
おばさんの疲労こんぱいの顔が道の険しさを物語る。

白山登山は最初が一番きつい。
はいつくばってよじ登るような道が延々続く。
急な坂はこれまでにも山城で何度も経験してきたが、ココは長さが違う。
ゆっくりのんびり登ればまだ楽なのだろうが、時間がそれを許さない。
たくまのプライドも許さない。

どこからか聞こえてくる声

「もうバテたか?この負け犬が」

(ぜーぜー…うるへえ〜(-д-;))

宮崎から大阪人の声もする。

「ココで歩くなあ!」

(は、はひ!(-д-;))

「きついのは我慢すりゃええねん」

(か、かっこいい(T^T))

いくつもの登山グループを追い抜いて行く。
「ゼハゼハ」言っていてはかっこ悪い。
無理矢理呼吸をととのえ挨拶を残してすれちがう。

「コンチハー」


「若いなあ」

と返ってくる言葉。
確かに、ペースが速いのは若いからかも知れないが、

(間違いなくあんたよりバテとるわい!)

と叫びたくなるが、そこは我慢。
きつい時に精神をコントロールするのも修行のうちだ。

道も中程になってきたころ、辺りの様子も変わってくる。
磐座ではなかろうかというような巨岩が姿をあらわし始めた。

20060929_146050.jpg

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20060929_146065.jpg

ココで雨は一休み。
視界が少し開ける。
山を見上げてみると、上は相変わらず雲の中だ。

20060929_146066.jpg

さらに進みつつ、酸欠でもうろうとなった頭であれこれもの思いにふける。

(この山がもっとうっそうとしていたとき、修験者たちはもっときつい思いをしたに違いない。いま、この整備された道で修行するならもっと追い込むしかない。修行だ。修行するぞ!)

などと考える内にふと気付く。

(…修行?「修行」ってなんだ?

こうして肉体を追い込むことが修行というなら、下でマラソンやったって同じじゃないか)

仏教曹洞宗の
「食事をとるのも修行、寝るのも修行、用をたすのも修行」
という教えを思い出す。

(結局、自分の心を律するという意味で、何をしても修行になるということか)

なんとなく曹洞宗の言いたいことがわかった気になる。
しかし、

(でも、じゃあ、修験者たちはなぜココを修行の地に選んだんだ?

…それは、ココが神の坐す場所だから。
その「神」とは、岩であり草木でありこの山そのものであった。
彼らの修行を知ろうとするならば、自分を追い込むだけでなく、もっと神を、この山を、感じなければならないのではないか!?)

それまでただきつくなることにこだわっていたたくま。
考えてみると、ココまでの風景をほとんど覚えていない。

(山だ、山を感じるんだ!)

意識して見ると、実に多種多様な植物が見られる白山。
花を咲かせているものも少なくない。

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20060929_146079.jpg

そうこうしているとまた雨が強くなってきた。
しかも、さすが高山、気温がずいぶん低くなっている。

たくまの格好は、下はジーパン、上は半袖ラガーシャツにウインドブレーカーだ。
濡れていることもあって、立ち止まるとすぐに身体は冷える。

(山頂大丈夫か?(--;))

と不安になってくる。


不安的中。
上に登れば登るほど雨は強く、空気は冷たくなっていく。
手はすでにかじかんでシャッターひとつ押すのにも難儀する。

(ま、まだか?山頂は(--;))

すると、霧の向こうに建物の影が見えた。

20060929_146080.jpg

(つ、ついた!奥宮はどこじゃ!?)

時間のこともあるが、一刻も早く下りなければ凍え死んでしまいそうだ。
急いで奥宮を探す。
小屋の裏に鳥居を発見。

20060929_146081.jpg

(おくみや〜!!)

しかし、一枚の看板が無情に現実を告げる。

「奥宮“遥拝所”」



つまり、ココはまだ、奥宮のある三角点ではなかったのだ。

(なんてこった(T^T))



つづく
【2006.09.29 Friday 00:21】 author : たくま
| 東海・北陸 | comments(4) | trackbacks(0) |
一乗谷朝倉氏遺跡 外伝

先の記事「一乗谷朝倉氏遺跡」で「山城」の語が見えたのになんの紹介もなかったことに気が付いたあなた、とてもすばらしい勘の持ち主です。
そう、ココまで来てたくまが行かないわけがありません。

これは、川沿いの遺跡をあらかた見た後の話しです。



お茶は?

「持った!」

カメラは?

「持った!」

替えのバッテリーは?

「持った!!」


準備万端。
たくまの一乗谷城攻めが始まる。
目指すは朝倉館の背後にそびえるあの山、一乗城山!

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出発前に自らを鼓舞してみたたくまだが、復原があれだけしっかりしている遺跡だ。
城へのルートもさぞかし整備されていることだろう。
比較的楽な城攻めになることを期待し、朝倉館の脇から城に続く道を登って行く。

程なくして「城山まで1.1km」の看板。

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山道の1kmは馬鹿にならないが、そこは信長ばりに数々の城を攻略してきたたくま

「5分で落としてくれる!」

言葉の意味はわからないが、とにかく気合いが入る。

しばらく行くと、道をさえぎるものがいる。

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「ふ〜ん。一乗谷って、赤や黄色の草が生えるんだぁ〜(゜▽゜)」

見えたのはカラフルな植物だと決めこみ、ずかずかと入っていくたくま。
その後ろの「熊出没注意」の看板も意にかいさない。

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「そんなん言われて会ったことないもんね(`ε´)」

「自分は大丈夫」、典型的愚か者ココにあり。

さらに進むと、予想に反して道はほとんど整備されていない。
草は伸び放題。
終まいには道は完全に断たれてしまう。

20060928_145335.jpg

しかし、こんなことにももう慣れっこなたくま。

「ない道はつくればいい」

自らが猛獣と化し、獣道を切り開いていくたくま。

辺りを見渡すと、いつのまにか周りは竹林になっている。
しかし、竹は、なぜかまともに立っているものはなく、ほとんどが折れたり倒れたりしている。

20060928_145339.jpg

「ふ、ふ〜ん。一乗谷の竹って、こんな生えかたするんだ〜(--;)」

とは言いつつも、何か大きな力を感じとったたくま。
カラフル植物の意味がなんとなくわかってきたが好奇心を抑制できない。
さらに奥へと進んでいく。

道は谷沿いに至り、10mほど下に川を見ながら道なき道を歩いて行く。

「落ちたら痛いだろうなあ(--;)」

などと考えながら、慎重に歩を進める。
すると、たくまの目の前にとんでもない光景が飛込んできた。

20060928_145342.jpg

川の巨岩に、流てきた大量の大木がつかえているのだ。
写真ではわかりにくいかも知れないが、かなりのスケールだ。

これではっきりした。
あのカラフル植物は、今年の梅雨の大雨で起こった土砂崩れが原因で生えてきたのだ。

ものすごい迫力に圧倒されるたくま。

「さて、どうするか(--;)」

好奇心と恐怖心が葛藤する。

勇気は?

「持った!」

元気は?

「持った!」

浮気は?

「裏管理人にあげた!!」


城攻め続行を決意。
つかえた巨木を乗り越えようと一歩を踏み出したその時

ピシッ

「いて(>_<)」

しなった小枝がたくまの額を直撃。
地味に

「効いた(;¬_¬)」

このささやかな一撃で戦意喪失。

「もうやだ。帰る(T^T)」

あれだけ盛り上がった割にはなんとも簡単に背を見せるたくまであった。

カラフル植物まで戻りふと足元をみると

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「土砂災害につき立入禁止」の紙。
雨で落ちていたのだ。

「知ってるし!(>_<)」

なぜかこういった警告には後から気付くことが多い。

そして、後から気付くと言えば、下山して服を見ると植物の種だらけだった。

「俺様に無賃乗車するとは(--#)」

城までたどり着けなかった腹いせに、種をわざわざアスファルトの上で取るたくま。

「ぬははは、生えてこれるものならきてみろ!」

怪しい笑みを浮かべながらせっせと種を取るたくま。
それにしても、無賃乗車をするのはいいが、あまりのしぶとさに

「ホントに下りること考えてんのか?(--;)」

と思ってしまう。

たくまの一乗谷城攻めは、種落としという地味な戦後処理で幕を閉じたのだった。
【2006.09.28 Thursday 01:02】 author : たくま
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一乗谷朝倉氏遺跡

福井県福井市に一乗谷朝倉氏遺跡があります。

南北に流れる一乗谷川を東西から山が挟む典型的な谷の形。
下の写真のような風景が1.5kmほど続きます。

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(一乗谷川とそれを挟む山)

この地形を利用して城下町を築いたのが朝倉氏。
川の上流と下流に土塁を設け、天然の山と合わせて四方を防ぎました。
さらに、東の険しい山上に山城を築き、普段の生活は谷で送りながら有事の際は城にこもったと言います。

朝倉氏がココ一乗谷を本拠とし越前を平定したのは1470年の室町時代。
以後、織田信長に攻め滅ぼされるまで、5代103年間にわたって越前の中心として繁栄しました。


この遺跡がすごいのは、城下町がそっくり埋もれていたことです。
信長に攻められた後、一乗谷はほとんど使われることがなく、誰の手も加えられずに戦国時代の町が土中にそのまま眠っていたのです。

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このように、一軒二軒の家だけでなく町全体の様子がわかる遺跡は全国的に珍しく、大変貴重な遺跡であると言えます。


町もあれば、朝倉一族の館跡もきれいに残っていました。

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(朝倉館の堀と土塁)

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(朝倉館跡)

さらには、朝倉一族が楽しんだであろう庭園が見事に残っています。

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(諏訪館跡庭園)

拝観料まで取る下手なところよりもよっぽど見応えある庭です。


一乗谷遺跡は、いま、発掘作業と同時に復原にも取り組んでいます。
町並みの一部はすでに復原されており、210円という良心的な金額で入ることができます。

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(復原町並み)

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(復原家屋)

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(復原家屋内部)

ココの復原でたくまがもっとも評価するのは、発掘調査でわかったことやその他復原の参考にした史料などを、素人にもわかりやすく丁寧に説明していたことです。

よくある話なんですが、復原されたものを見ると、
「昔はこんなだったんだ〜」
とつい思いこんでしまいます。

しかし、復原で完璧に元通りにすることはほとんど不可能なんです。
土に埋まっている情報は限られていて、例えば家屋などであれば、残っているのはせいぜい礎石や炉跡くらいで、土より上の情報はほとんどなくなっていることが多いのです。

では、わからない部分はどうするのかというと、当時の絵図を見たり、同じ時代の建築でまだ残っているものを参考にしたりします。

創作と復原の大きな違いは、その形につくる根拠が個人の発想によるか科学的根拠によるかでしょう。
創作に近い復原もけっこう多いので、気を付けなければなりません。

話がそれましたが、一乗谷遺跡は、そういう意味で、わかっていることとわかっていないところをはっきりと説明している好遺跡だと感じました。

駐車場は無料、雰囲気もよし、初夏には一乗谷川に蛍も見られる。
みなさんも一度足を運ばれてはいかがでしょうか?


どちらかというと、いつも文句が多めのたくまですが、今日はほめちぎってみました(笑)
【2006.09.27 Wednesday 22:21】 author : たくま
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富山の米騒動

富山県と言えば、1918(大正7)年に起こった米騒動が有名です。

米問屋が米を県外に運ぼうとしていたのを見た主婦たちが、それを阻止しようとして暴動に発展しました。
当時、新聞では「越中女一揆」と紹介されたそうです。


米騒動の背景として、東南アジアを支配するフランスやイギリスが米の輸出を制限していたこと、日本軍がシベリアに出兵するのを見こして米問屋が米の買い占め売り惜しみをしたことなどがあります。
それによって米価が急騰したのです。

1升11銭だった米が30〜33銭ほどに値上がりしたというから驚きです。

たくまがお世話になっているさとうのご飯、ワンパック100円が300円になると思うと…

そりゃキレるわ(--#)

富山の魚津(うおづ)町(現魚津市)で起こったこの事件を皮切りに、全国各地に暴動が広がって行きます。
しかし、単純に貧困に対する怒りだけではなく、第一次世界大戦で儲けた成金に対する妬みも暴動の要因になっていたそうです。

とても静かなこの田舎町でそんな事件が起こったなんて、今では想像もつきません。
人の怒りのパワーは凄いものです。


さて、これは、米騒動の魚津市のすぐ南の滑川(なめかわ)市で見掛けた広告の絵です。

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…だれ?

芸能界に疎いたくま
誰かを模した絵なのでしょうが、モデルがわからないのでうまいのか下手なのかじぇんじぇんわかりません。

店舗前に行くと、

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いた、オリジナル。

似てる…のか?


東京の大都会にこの絵が描かれていたらどうなるだろうかと、有り得ないシチュエーションに一人ドキドキしながら富山を後にしたたくまでした。


米騒動と関係ないと思ったそこのあなた
いい勘してるぜ
【2006.09.24 Sunday 23:14】 author : たくま
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能登 世界一の縄文土器
「日本の都道府県を全て言え」

これに答えようとしたとき、もっとも忘れられる県ベスト5に入りそうな地、石川県。
日本の南北問題の「南」を代表する地域と言えるだろう。

石川県域の半分ほどを占める能登半島。
三方を海に囲まれるのどかな田舎の水平線。

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9年間海に囲まれた沖縄本島に暮らしたたくまでさえ、その広さに圧倒される。

「日本海でかし(--;)」

でかいだけでなく、またきれいである。

20060921_139939.jpg
(見よ、この透明度)

単純に水のきれいさだけならば沖縄本島よりも断然上だ。
皮肉にも、それがまた能登の田舎度を示す。


そんな能登であるが、はるか昔、縄文の遺跡では他のどこにもひけをとらない。

能登半島の東海岸沿いに、真脇遺跡という、6000〜2300年前の約4000年もの間繁栄を続けた日本を代表する縄文の遺跡がある。

20060921_139941.jpg
(手前の広場一帯が遺跡)

この遺跡からは大量のイルカの骨が出土し、漁業が盛んだったことがわかる。
また、様々な土器、石器、祭祀道具なども見付かっており、この村の文化水準の高さをうかがわせる。

土器や玉類の中には、東北や関東産のものまであったり、周辺地域との交流を考える上でも貴重な遺跡だ。

20060921_139942.jpg
(出土遺物の写真)

真脇遺跡の出土遺物でもっとも特徴的なのが上写真中一番右の土製仮面。
欠損しているが能面ほどの大きさはあると思われ、実際にかぶって使用されたものと考えられている。

この仮面をモチーフに、こんなものが作られていた。

20060921_139952.jpg

当時の人たちに見せて感想を聞きたいものだ。


真脇遺跡の見学をすませ能登半島を南下していると、このような案内が目についた。

20060921_139953.jpg

「世界一の縄文土器」

(世界一!?Σ( ̄□ ̄;))

たくまが食い付かない訳がない。
まったく予定していなかったが、すぐさま進路を「世界一」に向ける。

(「世界一」かぁ。何が世界一なんやろ?でかさ?古さ?美しさ?)

よく考えると意外に抽象的な「世界一」という言葉に心を踊らせながら車を走らせる。

そもそも日本固有であるはずの「縄文土器」を、「日本一」ではなく「世界一」と言ってしまうところがなんとも

(痛快!(>_<))

ではないか。
能登の意気込みを見る思いだ。

それにしても、その「世界一」はどこにあるのか。

(博物館?資料館?)

そもそも「世界一の縄文土器」とだけ紹介しておいて、それを展示する施設を案内していないのは非常に不可解だ。
それは、

(野ざらしってことか?…もしかして(--;))

だんだん嫌な予感がしてくるたくま。
そして、その予感は的中した。

妙な施設のある小さな公園を発見。
その施設とは

20060921_139954.jpg

これである。
確かに

(でかい(--;))

「縄文土器」というくらいだからちゃんと古来の作り方で製作したのだろうか。
紋様は確かにそれらしくしてある。

20060921_139955.jpg

それにしても、

(誰が何の目的でこんなものを(--;))

たくまのこの疑問には近くにあった説明板が答えてくれた。

20060922_139967.jpg

「(能登町)町民が集い、後世に残るものを造ろうと町おこしの一環として」
出来たものらしい。
そして、これは、
「世界一の記録を収録したギネスブックにも掲載されて」
いるそうだ。

よく見ると、土器の下部は紋様ではなく、製作に携わった人たちの名前が彫られてある。

20060922_139964.jpg

これが「延べ千七百名の汗と涙の結晶」であることは、ところどころにある亀裂が物語っている。

(ほんと大変だったんだろうな(--;))

遺物かと思ってきたのでやや肩すかしをくらった思いではあったが、

(これはこれで歴史の1ページを見た気もする(>_<))

と自分に言い聞かせるたくま。
帰りながら

(ギネスブックに載ったって、こんなの他に造る人たちがいるのだろうか?
もしかして、「世界一」って、「世界で一番」じゃなくて「世界でひとつ」?(--;))


奥深い日本語のマジックに自分の浅はかさを痛感しつつ、「世界一の縄文土器」に別れを告げるたくまであった。
【2006.09.22 Friday 00:05】 author : たくま
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