日本各地を旅する男のブログ
 

旅する男たくまの旅の記録

現在地は、すでに訪れ た土地は、全ての 予定を完了した土地をで示していきます。

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【2013.10.11 Friday 】 author : スポンサードリンク
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保険料減額
今日、役所からなにやら通知書が届きました。
なんとなくいや〜な気分で封を開けてみたら、保険料変更の通知。
月11000円 年130000円超の保険料が、年17000円程度に減額されていました。

ラッキー♪

「保険料変更理由
総所得0円」

ら、らっきー(--;)

「役所に失業を認められた人に仕事あげらあ」

と母に料理を手伝わされるたくま

「お言葉ですが母上。仕事を探してない者は失業者とは言わないのです」

「ほんならニートって認められたんかな!?すげえんか!」

「お誉めにあずかり恐悦至極に存じまする(--;)」


保険料減額を素直に喜べないびみょう〜な年頃のたくまでした。
【2006.07.23 Sunday 02:01】 author : たくま
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地図からみる歴史
最近になって雨が強くなってきました。今年の梅雨はなかなか明けませんね。
旅をするようになってから雨も風情のあるものだと感じるようになってきました。
さりとてこのままでは旅の再開は遅れるばかり。
すこし悩ましい近頃です。
新しい旅のネタも作りようがないので、今日はまた、以前の旅のネタを回顧的に紹介しようと思います。


「日本の形」と言えば、右上から左下に長く伸びる日本の地図をイメージする人がほとんどだと思います。
しかし、地図は、見る主体と地図に持たせる意味合いとでいろいろな描き方があります。
北海道、東北の旅は、たくま自身が持つ地図に対する先入観を思い知らされるものでした。

まずはこの地図の模型をご覧ください。



日本史における文化交流といえば朝鮮、琉球を介した大陸との交流が有名です。
しかし、日本の最北の地域がオホーツク文化というオホーツク海を中心とした文化圏に含まれていることをご存知でしょうか。
上の地図の模型は、オホーツク文化圏を含めた北極周辺の文化交流を意識して作られたものです。
一般的な世界地図では想像しにくい交流が見えてきそうです。




これは樺太を介した大陸との交易ルートを地図で表したものです。
俗に北のシルクロードと呼ばれています。
このルートから蝦夷錦という着物が日本に輸入されました。
蝦夷は今の北海道を指し「蝦夷錦」と言うと北海道産のように聞こえますが、「蝦夷錦」はあくまで大和地域から見た呼称で、実際は上の地図が示すように中国からもたらされたものです。




この地図は一般的な日本地図を逆さにしたもので、日本海沿岸地域の交流がイメージしやすい向きになっています。
今では日本海側は閉ざされた田舎のイメージが強いですが、太平洋側よりは大陸にも近く、昔は港を中心に大きく栄えた地域も多かったみたいです。


これらの地図をみていると、これまで学校で教えられてきた日本史がいかに一部の地域を中心にしたものであるかがわかります。
それが悪いと言うわけではありませんが、首都、大都市中心以外の視点、論点もまたあってしかるべきでしょう。

首都主体のものの見方は地名などにも反映されています。
熊本や和歌山県の熊野の「熊」は「隈」に通じ、隅っこの意味があると言います。
当時の首都、京の都からみて隅っこであるという意味です。
みちのくは「陸奥」と書き、陸の奥のほうであることを指しますし、備前、備後や越前、越後の「前」「後」も京を主体にみた名称です。

たくまの故郷岡山の周辺は中国山地をはさんで南を山陽、北を山陰と言いますが、なにかを主体にしての「陽」と「陰」なのでしょう。
おもしろいもので、たくまには(おそらく岡山人の多くには)南が栄えていて北が田舎であるというイメージが植えつけられています。
たくまの父は静岡に暮らしていたことがあるのですが、当時、静岡駅の北側が栄えていて南側が閑散としていたことに違和感を覚えたそうです。


地図をひっくり返してみる。地図の中心を変えてみる。
それだけでも様々な歴史的視点が生まれてくるのかもしれません。
【2006.07.19 Wednesday 04:06】 author : たくま
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後醍醐天皇〜時代の価値観
20060717_86503.JPG


岡山県津山市の作楽(さくら)神社です。
質素で厳かな社殿が印象的な雰囲気ある神社でした。

この神社の創建は明治2年と新しく、ご祭神は後醍醐天皇です。
1332年、後醍醐天皇が鎌倉幕府によって隠岐に流されるその道中この地に泊まったという故事に基づき創建されました。

明治のこの時期に、後醍醐天皇とその配下の武将を祭神とした神社が全国にいくつか創建されています。
それは、その時代の歴史観を色濃く反映したものでした。


鎌倉幕府は日本で初めてできた武家の政権です。
後醍醐天皇は、幕府以前の天皇親政(天皇が直接政治を行う)を復活させるべく倒幕に立ち上がった人物です。
失敗し流刑にあうこともありましたが、1333年、念願かなって幕府を倒し「建武の親政」を行いました。
しかし、足利尊氏の室町開幕に伴い、後醍醐天皇が始めた親政はついえてしまいます。


明治の為政者は、江戸幕府を倒し天皇中心の中央集権国家を築こうとしている自分たちと後醍醐天皇を重ね合わせました。
そして、後醍醐天皇を評価することで自分たちの行為(倒幕、新政府樹立)を正当化したのです。

明治時代に後醍醐天皇を祀る神社が創建された背景には、このような当時の歴史観があったのです。


歴史観にはその時代の流行りがあります。
流行りがなんであるかを考えることでその時代の特性をある程度知ることができるかも知れません。

今この平成の時代の流行りはなんでしょうか?
【2006.07.17 Monday 22:56】 author : たくま
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銀山温泉
今日は東北で撮った写真の整理をしました。
いやあ、素敵なところが多すぎて、けっこう紹介できていないものです。

今日は旅中に紹介できなかった素敵な場所のひとつをお送りします。



山形県野辺沢の銀山温泉の街です。

名前のとおり元々は江戸時代に拓かれた銀山で、幕府直轄の山として栄え、最盛期には人口二万人余りにも達したと伝えられています。


銀山の坑口跡。
「入坑禁止」となっていますが、頼まれても入りたくない(--;)

しかし、この銀山、五十年ほどで閉山となり、それ以後は元々湧き出ていた温泉を利用して湯治場へと転換し、今にいたっております。

この銀山温泉の売りはなんといってもその街並みです。





どうですか、この大正ロマン漂う木造高層建築の街並み。
湯婆でも出てきそうです。
【2006.07.06 Thursday 00:53】 author : たくま
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国生まれて山河あり
20060614_60904.jpg
福島県の恵日寺(えにちじ)跡です。

平安時代、徳一上人という高名な僧に建立された東北最大の古刹でしたが、ご覧の通り今はこんな状態です。

発掘調査のため草木が切りひらかれていますが、元はもっとうっそうとしていたでしょうか。


恵日寺がこのような廃墟と化したのはそう遠い昔ではありません。
明治の神仏分離令によってです。

他の記事でも何度か触れましたが、日本では千年以上の昔から神と仏は同一のものとして扱われてきました(神仏習合)。
明治になって、天皇中心の国家体制作りの一環として神と仏の差別化が行われました。
天皇の先祖を祀る神社は国家の管理下におかれ(国家神道のはしり)、外来宗教である仏教は一宗教として神社から切り離されました。

神と仏を切り離した一連の法令を神仏分離令と呼びます。

この法令が「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という寺潰しの動きを呼び、多くの寺院が取り壊され廃寺に追い込まれました。

この旅でいくつの寺を訪ねたかわかりませんが、この時代に潰されたお寺のなんと多いことか。
その中には国宝級の文化財も数多く含まれていたのです。

もし残っていれば

こんな仮定はなんの意味も持たないかも知れませんが、残っていれば、今の日本史が大きく変わっていたことは間違いないでしょう。

また、潰されたのは寺だけではありません。
国家管理の神社もまた、その多くが取り壊されました。
明治政府により神社が組織化され、一村一社の目標のもと神社が整理・統合されていき、数多くあった小さな神社はその姿を消していったのです。

今でも多くの神社が残る熊野においても、江戸時代に比べればその数は1/8ほどになったというのですから驚きです。


「明治」と言えば、幕末の維新志士達の活躍も意識して、西欧列強に対抗できうる国家の母体を作った輝かしい時代として捉えられ、その評価は一様に高いように感じます。

しかし、その権力によって多くの文化財が失われたこともまた事実なのです。
その意味で、明治は大きな損失の時代でもありました。


様々なものごとには必ず陰と陽の両面性があります。
陰に傾いたときには陽を意識し、陽を信じたときには陰を見つめる。

そんな視点を維持していたいとたくまは思っています。
【2006.06.14 Wednesday 21:56】 author : たくま
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小峰(白河)城跡〜肘将軍に捧ぐ
20060613_60049.jpg
福島県白河市の小峰城跡です。

小峰城は興国年間(1340〜46年)に結城氏に築城されました。
その後いくつかの変遷を経て、いま名残を留めている城郭は江戸時代初期に成立したものです。

白河は白河の関でもよく知られるように、平安時代は大和と蝦夷の重要な境界でした。
小峰城も東北の外様大名から江戸城を防備する一環として築城されたものです。

残念ながらオリジナルは戊辰戦争の際新政府軍の攻撃で焼け落ちてしまい、今ある建築物は近年の復元です。

資料がしっかり揃っていたみたいで、城内部にいたるまでなかなか立派な復元でした。
なにより入城無料なのが素晴らしい。

20060613_60061.jpg

20060613_60070.jpg

しかし、姫路城もそうでしたが、天守閣って外観の華々しさとは裏腹に内部はかなり殺風景なものですね。

20060613_60055.jpg

肘将軍、復元はだめ?
【2006.06.13 Tuesday 22:42】 author : たくま
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忠臣白虎隊
福島県会津の歴史で最も有名なのは白虎隊の悲劇でしょう。

明治のはじめ、新政府は確固たる政権を作るため、旧幕府軍とそれを支持する潘の武力制圧に乗り出します。
会津潘は旧幕府側に味方した有力潘でした。

新政府軍に攻められた会津潘は、防戦のために十代の若者をも戦争に投入しました。
この若者で編成された部隊が白虎隊です。

自ら志願して当時の潘主松平容保(かたもり)に出陣の許しを得た白虎隊は迫りくる敵を迎え撃ちましたが破れ、人工の水路を通って城の方に撤退します。

20060612_58591.jpg

これは白虎隊が通った水路です。
きょわい(-д-;)
たくまは昔から水の流れが苦手です。

なんとか城近くの飯盛山まで逃れてきた白虎隊の生き残り20人は、山上で衝撃的な光景を目の当たりにします。
主君の待つ鶴ヶ城がすでに炎上していたのです。

20060612_58592.jpg
飯盛山からみた鶴ヶ城跡(中央の森が城跡)

白虎隊20人はもはやこれまでと、飯盛山で自刃して果てるのでした。


福島の旅でその飯盛山に行ってきました。

ふもとの駐車場に車を止め、いざ登山!

と思ったらエスカレーターがあるではないですか。

20060612_58595.jpg

これは素晴らしい!

「歩いたら本当に大変でございます」

というアナウンスにつられて乗ろうとしたら、なんと有料。
250円
意外と高い(--;)

結局歩いて登るたくま。
どれだけ歩かされるのかと思ったらなんのことはない。
写真でも確認できる階段の上が一番高い地点でした。

「歩いたら本当に大変でございます」

なにか腹立たしい。
善意かと思ったらめちゃくちゃ営業やん(-д-;)
これで大変とか言ってたら金毘羅山のおばちゃんに笑われるわ。


さて、登って1番にたくまを迎えてくれたのがこんな碑でした。

20060612_58603.jpg

これは昭和3年にローマ市より寄贈されたもので、台座部分にイタリア語で
白虎隊勇士の「武士道の精神に捧ぐ」ために寄贈されたことが書かれていたそうです。

「書かれていた」

というのは、戦後、アメリカ軍の命令で削られてしまったからです。

このことから、戦前に白虎隊の歴史が忠君愛国の模範として宣伝されていたこと、それをアメリカが懸念したことが容易に想像できます。

最後まで主君のために戦い、自刃して果てその忠誠を貫き通した白虎隊の少年たちの生き様は、軍国主義の当時の日本にはもってこいの模範だったのでしょう。

20060612_58600.jpg
飯盛山の白虎隊の墓

たくま個人もそうした白虎隊の生き様に感じるものがありますが、ココではあえて違う見方をしてみます。


まず、白虎隊は明治政府にとっては敵、賊軍でした。
自刃した隊士は政府によって埋葬することを禁止され、不憫に思い遺骸をこっそり寺に運んだ村人はおとがめをうけたそうです。

戦前は国民の鑑とされていた白虎隊も、明治には国にとってあってはならない存在だったのです。

ほんの40〜50年で大きく変わるものです。


また、もうひとつ気になることがあります。

白虎隊には実は一人だけ生き残りがいました。
飯沼貞雄という人です。

自刃したのですが助けられ、78歳まで生きました。
白虎隊が有名になった理由の一つに、この方の証言で隊員の詳しい動向がわかったことがあります。

しかし、白虎隊の評価があがればあがるほど、飯沼さんを責める人も出てきました。

「なぜ生き残った。卑怯者!」

ひどいことを言うと思われるかも知れませんが、我々がその時代に生きていたら同じように飯沼さんをののしっていたかも知れません。
もっと言えば、今現在、我々もなにか心ないことを誰かに言ったりしたりしているのかも知れません。


歴史から学ぶというのは、いまの価値観にのっとって誰かを悪と断罪することではなく、過去の価値観を物差しにいまの我々の価値観がどんなものなのかを知ることではないかと思います。

飯沼さんと同じような思いをする人がこれから先なるべく出ないようにするためにも、飯沼さんをののしった人々の価値観をもっと知りたいと思います。
【2006.06.12 Monday 01:03】 author : たくま
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奥州の覇者
それは俺のこと。

福島、もとい東北地方ついに制覇!

約三週間の東北の旅。
まわった史跡は224ヵ所。
大きなトラブルもなく初めて予定通り進んだ気がします。

東北最後は福島県の津都古和気(つつこわけ)神社でした。
かなり強引に終わらせたので暗くてお見せできるような写真がないのですが(^_^;)、境内でこんな物を拾いました。

20060610_57437.jpg

きっと神様からの東北終了のご褒美。
今はたくまの財布に収まっています♪
これであまたのスポンサーに恵まれる!
はず!!(>_<)


昨夜から東京の友人宅にまたお邪魔しています。
気がゆるむとどっと疲労が。
やっぱり疲れてるのね。

しか〜し!旅はまだ中盤戦を迎えたばかり!
たくまのやる気はなお一層高まるのでありました。

聞こえる
全国の史跡がたくまを呼ぶ声が…
【2006.06.10 Saturday 19:30】 author : たくま
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福島も動物でいっぱい
会津潘松平氏の墓所で出会いました。

20060610_57094.jpg

始め猪かと思いました。

猪ならタックルしなきゃ。
ジャイアンにぶっ飛ばされる(-.-;)
あ、でも猪の方が強いかな?

とか思ってたら違いました。
これ鹿?ですか?

旅をしてるといろんな生物に出会うものです。
【2006.06.10 Saturday 04:12】 author : たくま
| 東北 | comments(3) | trackbacks(0) |
伊佐須美神社の動物たち
昨日起きて例のトイレに行ってみたらニワトリいませんでした。残念。

そのままトイレの水道で顔を洗っていると掃除のおばちゃんが来て

「ちょっとお兄ちゃん、水が散っちゃうじゃないの!」

と怒られるました。
すいません(-.-;)

一旦車に戻り、ドアを開けたままがさごそ身仕度していたらヤツがきました!

20060609_56801.jpg

トイレに入れなかったもんで俺の車を狙ってやがるのか!?
入ってきたら食ってやる!
たくまのエンジェルさんばり殺気が伝わったのか、やつは一声

「コケーー!」

と残して去って行きました。
なにがしたかったのだお前は?


準備が整って行動開始。
最初の訪問は昨夜駐車場を拝借した伊佐須美神社。

20060609_56804.jpg

参拝終わって、鎮守の杜の間をくぐり駐車場に向かっいると

バキバキバキドサッ!

一本の大木の枝が折れたくまの3mほど横に何かが落ちる音。
何かロープのような



20060609_56803.jpg

ヘ、へヴィΣ( ̄□ ̄;)

ウギャアー!!

同じくらい近くにいたおばちゃんの叫び声にたくまも

ウッギャアアアーー!!!

危ない。一歩間違えば直撃するとこだった(-.-;)
それによくみると二匹からまりあってます。
こんなのが頭に落ちてきた日にゃさすがのたくまも卒倒もんです。

朝っぱらから動物の試練を味わうたくまなのでした。
【2006.06.09 Friday 20:20】 author : たくま
| 東北 | comments(6) | trackbacks(0) |
何かございましたら、下記のアドレスにご連絡ください。
amamiku@hotmail.com