日本各地を旅する男のブログ
 

旅する男たくまの旅の記録

現在地は、すでに訪れ た土地は、全ての 予定を完了した土地をで示していきます。

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【2013.10.11 Friday 】 author : スポンサードリンク
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また帰岡
大阪、京都、兵庫も残りわずかになり近畿制覇目前だったのですが、身内の不幸で、一昨日よりまたいったん岡山に帰ってきています。
訃報が届いたのが3日前、一昨日通夜に昨日が告別式でした。

式は神式で、なんとたくまが祭主をつとめることになり、父のサポートの元に初めて神葬祭をひとりで取り持ったのでした。
普通、身内のものがするものではないですが。

しかし、祭主はきつかった(--;)
なにがって、式中絶対に泣けないこと。
故人を悔やむだけではなく、神様になる準備を毅然とした態度で進めないといけないこと。
なかなか複雑なものがありました。
だからこそ父にさせたくなくて急いで帰ってきたのですが。


ところで、この旅でお寺に魅せられることも多々あり、ある方面(ヨーロッパの方)から神主界の裏切り者的視線を浴びせられているたくまですが、
「いやいや、やはり俺は神社派だぜ」
と、この神葬祭で実感する機会がありました。

火葬場を歩いているときのことなんですが、黒服の一般人がたくさんいるなか、神主姿で歩くのってなかなか快感なんですよね。
みなに向けられる敬いの眼差し。
着るものひとつでものすごく自分がえらくなった気がします。
調子に乗って胸を張りゆっくり堂々と歩いていると、向かいから黒服一般人とは明らかに違う、でも神主ではない者が歩いてきます。

そう。それは、坊主。

たくまと歳の程同じくらいのお坊さんが火葬場に来たのでした。

むむむ!
この若造、いばりくさりおって!!
(↑自分は棚上げ)

思わず笏(しゃく:神主が持っている板片)を握る手に力のこもるたくま。
きっと坊主の数珠を持つ手も緊張していたことでしょう。

父にこの話をすると、父も、火葬場で祭詞を読み上げているときに隣の式場でお経が聞こえてくると同じような気分になるのだそうです。
声のでかさで張り合ってしまうとか(笑)


そんなこんなで、今日からまた旅立つたくまでした。
ちょっっぴり疲れたぜい(--;)
でももうちょっと!
【2007.03.19 Monday 12:31】 author : たくま
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決戦前日

正月とはなんだ!?





正月とは、戦争だあぁぁ!!



今年もやってきました、この時が。
たくまが神主になってはや?年、三年続く厄払いをすべてたくまにされてしまった若干不幸な方もすでに何名もいらっしゃいます。


自分の父が、疲労で祈梼中に気を失ってしまうことがあると言っていた正月の忙しさ。
自分が初めて体験したときは「この年が一番大変だったに違いない、そう信じたい」と思ったものですが、毎年あまり変わりませんでした(笑)



しかし、いくら忙しかろうと、どれだけきつかろうと、ココ2年の旅でみかけた数人のくそ神主のような気持ちで仕事はしないぞ。
参拝にこられる方々に自分ができる最高のパフォーマンスを見せてやる(←スポーツ感覚?)



たくま自身も、この旅中、何度も見えない何かに助けられている気がしました。
それはきっといろいろな守りであったのでしょうが、自分の神社の神様のおかげも大いにあると思います。
奉仕という形で直接ご恩に報いることができるのは非常に有り難い話です。



今年一年はみなさんにとっていかがでしたか?

旅出発前は「お前はヤクザか」と言われるくらいトンがっていたたくまですが、修行(?)のおかげでだいぶ元の落ち着きが戻って参りました。
人の幸せを自然に喜べます。

新年がみなさんにとっていい年になるよう心より祈っています。
【2006.12.31 Sunday 15:13】 author : たくま
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忌詞
みなさん、忌詞(いみことば)というものをご存知でしょうか?

日本には古来から言霊信仰(ことだましんこう)というものがあり、発した言葉にはなにかしら霊力がそなわっていて、言葉の意味通りになるよう霊力が働くと考えらてきました。

忌詞は、不吉なことを連想させる言葉を使うのを避け、言葉の霊力をコントロールすることを意味します。

こういう風に書くと、日常からはかけはなれた信仰上の話と思われるかもしれませんが、忌詞の考えは、私たちの生活の中に確に溶けこんでいます。

二、三例を挙げると、マンションなどで四階がないのはこれに該当します。
「死」を連想させる「四」を避けているわけです。

病人の見舞いにシクラメン(「死」、「苦」)やサイネリア(「再寝る」)を避けたりするのもそうです。

他にも、猿をエテ公と呼ぶのも忌詞の考えからです。
「去る」では縁起がよくないので、反対の意味の「得て」に言い換えているのです。(なんでエル公でないのかはたくまにはわかりませんが(^^;))


今の世の中、自分は無宗教だと言う人は多いですが、望む望まないは別にして、宗教の思想は根強く人々の中に生き続けているのです。
【2006.08.22 Tuesday 23:21】 author : たくま
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昭和天皇の資料
昨日、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示していたことを裏付ける資料が発見されたと大きく報道されました。
神社関係者にとっては大変衝撃的なニュースでした。
これを契機にA級戦犯の分祀を求める、いわゆる分祀論が強くなりそうな気配です。

一般に、A級戦犯の分祀は靖国問題解決の具体的方法のひとつと考えられていますが、靖国神社が分祀論を受け入れることはまずありません。
分祀論者と靖国には、祀られている戦没者の御霊(みたま)の認識に大きなギャップがあるのです。

「分祀」とは文字通り「分けて祀る」ことですが、いったい何を分けるのか?

祀られているのが仏教の位牌のようなものであれば話は簡単です。
A急戦犯の位牌をよそに移して分祀完了です。
しかし、靖国神社に祀られているのは御霊という極めて抽象的なもので、具体的に分けるものが存在しないのです。

御霊とはいったいどんな性質のものなのか?

ある人は御霊を火に例えてこんな説明をします。

「違う火種から生じた火が一度合わさるともう分けることができないように、一度合祀された御霊は分祀できない」

靖国にとっては御霊は分けたくても分けられないものなのです。


ただ、少し紛らわしいのですが、神社にも「分祀」という考えは確かにあります。
しかし、それは、分祀論のそれとはまったく異なります。
分祀論の「分祀」が同じ神社に祀られているA神とB神を別々に祀るようにするという意味なのに対し、神社でいう「分祀」は、A神とB神を祀る神社をもう一社創建することを意味します。
元の神社から新しい神社にA、B両神の御霊を移すこと、新しい神社に両神の御霊を分けることを「分祀」と言います。

分祀論のいう「分祀」の概念は神社には存在しません。
分祀論は現実的な解決策のように見えますが、靖国神社側の御霊観に劇的な変化がない限りその実現は難しいでしょう。



分祀論はさておき、昭和天皇の資料は、今の日本において天皇とはいったいどんな存在なのかという問題を浮き彫りにするもののように思います。

この資料の発見にも関わらず、小泉首相の靖国参拝の基本姿勢はおそらく変わらないでしょう。

「国のために戦った方々の慰霊のために参拝する。」

これまではA級戦犯も「国のために戦った方々」に含めて対内的にはさほど問題ありませんでした。(対外的には大有りですが)
しかし、昭和天皇の資料の発見で状況は少し変わってきます。

国=天皇のような図式の時代において、天皇に不快感をもたれた人間が果たして「国のために戦った」と言えるのか。

昭和天皇の発言を知ってなお首相が参拝するということは、国=天皇でないという意思表示にもなり得ます。
今の時代、国=天皇と考えている人の方が少ないでしょうが、では、今の日本にとって天皇はどういう存在なのか。
次に首相が靖国参拝したときに、一部ではそんな議論も出てくるかもしれません。

なんにしても、一番大変なのは靖国神社の神職さんたちです。
今頃いろんなところで対応に追われているのでしょうか?
かわいそうに。
【2006.07.21 Friday 09:37】 author : たくま
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神社非宗教論
政教分離は憲法第二十条に定められており、今日では常識的な考えです。

首相の靖国参拝が宗教行為にあたるかどうかなど細かい部分で難しいところはありますが、政治が宗教に関わってはいけないという根本に反対の人はそういないでしょう。

ところで、戦前、神社は国家に管理されていました。
天皇の先祖を祀る大事な施設として他宗教と差別され、国家の制度のもとに優遇されていたのです。
このころの神社のあり方を国家神道と呼んだりします。

この事実をみると、政教分離は戦前の日本にはまったく無縁のもののように思われます。
しかし、その思想は、じつは、大正時代にはすでに日本にあり、国家神道の是非を問う議論もあったのです。

神社を国家管理から外すべきだという政教分離の意見に対し、神社側はこう反論しました。

「神社は宗教ではないから国家管理でも問題ない」

なに言ってんだ?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これがいわゆる神社非宗教論というもので、神社界では今日でも支持されている考えです。

みなさんの家の近くの神社の神主に
「神社は宗教ですか?」
と質問したら、ほぼ間違いなく「否」と答えが返ってくるでしょう。
神主にとってはそれくらい常識的な考えなのです。

神社では、神社が宗教でない理由として次の三つをあげています。

・神社には教義がない

・経典がない

・教祖がいない


神社には、こうしなさいという教えも、教えを記した書物も、教えを説く教祖もいないということです。
この三点は、神社に戒律がないことを意味します。

戒律がない故にあらゆるものに寛容である。

こうした理屈で、神社の寛容さを自慢するときに、神社が宗教でないことをアピールする神主も多くいます。
神社非宗教論は神社関係者にとって大きな誇りとなっているのです。


しかし、これには落とし穴があります。
それは、「宗教」という語の語源です。

「宗教」はキリスト教などを意識して作られた(訳された)語であって、もともと神社を説明する言葉ではないのです。
神社が「宗教」という語の定義から外れるのは当然のことなのです。


人は自分たちが使っている語が実は実態のないものであることを忘れてしまうことがあります。

「宗教」という語はある信仰の形態を説明するために生まれたものであり、「宗教」というモノが目に見えて物理的にあるわけではありません。
ところが、「宗教」という語を口にしている内に本当にそういうモノがあるような錯覚を持ち、神社がそれに当てはまるかどうかというおかしな議論に発展してしまっているように感じます。

自分の使用する単語への緊張感、持っているのはなかなか難しいですが
(持てていると思っているときほど持てていない(^^;))、
言葉にだまされないように心がけていたいたくまです。
【2006.07.14 Friday 21:43】 author : たくま
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穢(けがれ)
みなさん、「穢」(けがれ)という言葉をきいたことがあるでしょうか?

「穢」と書くとちょっと難しいですが、いわゆる「汚れ」です。

神道には「汚れ」という思想があります。
汚れが積もりに積もった年が厄年です。
厄払いなどのお祓いはこの汚れを取り除く儀式なのです。

「自分は汚れるようなことは何もしていないのに、なんで汚れたことになっちまうんだ?」

と思われたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

しかし、神道でいう汚れは何もしていなくとも積もっていくものとされています。
なんぴとも、ただ生きているだけで汚れていくのです。

こんなことを言うと
「不条理な!」
と思われるかも知れません。
かく言うたくまも子供の時分は、
「神社が金儲けのために広めた思想なんじゃないか?」
などと考えたりしました。

しかし、「汚れ」思想は、金儲けのために生まれたものでもなければ宗教的な教えでもありません。
昔(少なくとも奈良時代)から現在に至るまで、日本人の精神世界に深く根差した思想であると言っても過言ではありません。


「汚れ」とはいったいなんなのでしょう?


現代人の私たちは「汚」という漢字のイメージで、「汚れ」=「汚物」、「よごれ」的な考えを持ってしまいますが、神道の「ケガレ」は必ずしもそれを意味しません。

神道の「ケガレ」は、その意味に乗っ取って漢字をあてるとすると、

「気枯れ」

になると言われています。

人は普通に生活しているだけで「気」(気力)が「枯れ」(なくなっ)てくる。
ざっくばらんに言うと、疲れちゃうってことです。

単純な日常の繰り返しで疲れてくる。
こう考えると「汚れ」思想もしっくりくるのではないでしょうか?

神社の厄払いは、枯れた気力を再び充実させるための儀式なのです。
リフレッシュするわけです。


神社においてリフレッシュするのは人間だけではありません。
神様もまたしかりです。

神社の祭と言えば神輿(みこし)を知らない人はいないでしょうが、神輿を乗り物として意識したことがある人は少ないかも知れません。
神輿は乗り物です。
誰が乗っているのかというと、もちろん神様です。

どこに行くのかは祭によりけりですが、外遊してもとの神社に帰ったときに神様のご神威(神様のパワー)が復活するとされています。

人間的に言えば
「仕事、生活に疲れたからちょっと愛車をとばしてスカッとリフレッシュして、明日からまた頑張るか!」
といったところでしょうか。


ところで、先程、「汚れ」思想は日本人の精神世界に深く根差すと言いましたが、ココまでの説明ではまだピンとこないことでしょう。
これを理解するひとつのポイントは、言霊(ことだま)です。

日本人は古くから、発する言葉そのものに特別な力があると考えてきました。
いいことも悪いことも、口にするとそのようになってしまう。
言葉にはそういう不思議な力があると信じられていました。

古文や短歌などで比喩や遠回しな言い方が多くはっきりした表現をしないのは、言葉の持つパワーをなるべく発揮させないためだと言われます。

なぜ言葉のパワーを避けるかというと、言霊を使いすぎると「気枯れ」ると考えられていたからです。

こうした思想は、現代の日本人の中にも息づいていると思います。
「日本人は自分の意見をはっきり言わない」
と言われるのは、意見を持っていないからだけではなく、こうした「汚れ」思想の影響もあるのかも知れません。

アメリカかぶれの英語の先生が

「アメリカではみんな自分の意見をはっきり言う」

と言っているのをよく聞きますが、そんな人たちにいつか

「日本の文化を大事にしているだけです」

と言ってみたいものです(笑)
(意見を言わなすぎるのも困りものなのは確かですが)



で、今日はなんで突然こんなブログを書いたのかというと…

先日スポンサー服部くんに、↑のように知ったげに「汚れ」の説明をしたんです。
そしたら彼が、たくまが茶髪なのを皮肉ってこう言ったんです。

「さすが『毛枯れ』神主」

うまい!座布団一枚!(>_<)

結局言いたいのはこれだけなのでした。
あ〜気枯れた(-д-;)
【2006.05.15 Monday 07:03】 author : たくま
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神社裏話〜清浄なる神社編〜
神社の神様はきれい好きとされています。
ゆえに神社に掃除は欠かせません。
神主さんの中には

「神主の仕事は掃除に始まり掃除に終わる」

と言う方もいらっしゃるくらい掃除は重視されています。

掃除をするのは神主だけではありません。
その神社を崇敬される氏子さんもしょっちゅう掃除をしてくださっています。

とある仕事熱心な若い神主さんが、氏子さんがお参りに来る前に神社を綺麗にしておきたいということで早起きして掃除をしておくと、次の日はそれより早く氏子さんが掃除をされていたそうです。
これはいかんということでその次の日はさらに早起きして掃除をするとまたその次の日は氏子さんがそれより早く来ているという早起きバトルが繰り広げられたそうです。

が、相手はお年寄り。
どちらに分があるかは火を見るより明らか。

結局、集合時間を決めて一緒に掃除をするという休戦協定を結んだそうです。



きれいにしなければならないのは神社境内だけではありません。
神主自身にも清潔さが求められます。

ちょっとした祭になると神主は必ず神事の前に身を清めます。
清めると言ってもただ風呂に入るだけの場合が多いですが、とても大事なことなのです。


神事前にちょろっと風呂に入るくらいの清めならかわいいものですが、神社によっては日常から神主を清潔にさせているところもあります。

そこでは24時間風呂を焚いているおばさんがいるとか。
もちろん神主がいつでも入れるようにするためなのですが、ココでは、トイレに行くたびに風呂に入れられるそうです。
下手に水分を摂りすぎると酷くふやけてしまうというなかなかレアな悩みです。


また、神道には火にも清浄なものとそうでないものがあると考えられています。

とある神社では勤務中はライターを没収するそうです。
神社内で汚れた火を使わせないためです。
よって、この神社では、愛煙家の神主さんは、ちゃんと清められた火を炭に分けて小さな七輪に入れて神社内を持ち歩いているそうです。
喫煙者に厳しいのは医療界だけではないんですね(笑)


とまあこういうふうに、神主は清潔な集団です。
たくま一人見て「おいおい」とか思わないでね♪



注)このブログの内容は一部の神社のエピソードであり、神社全般に共通するものではありません
【2006.03.29 Wednesday 18:44】 author : たくま
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神社裏話〜賽銭泥棒との闘い編〜
神社と言えばお賽銭、お賽銭と言えば賽銭ドロちゃんです。

残念なことではありますが、賽銭泥棒は非常に多くいます。
全国の神社という神社、賽銭泥棒に悩んでいない方がまれかもしれません。


賽銭泥棒の手口は、閉まりの悪い賽銭箱をそっと開いて中の小銭をこっそりとポケットにしまいこむ

な〜んてかわいらしいものばかりではありません!

こちらがどんなに警戒しようとも、どんなに頑丈な賽銭箱を設置しようとも、あらゆる手を尽くして賽銭箱を破壊し中の小銭をかっさらっていくのです。


神社の中には賽銭箱に鍵をつけないところがあります。
決して泥棒行為を容認しているわけではありません。
しかし、あえてつけないのです。

そのことで警察に怒られることもあります。

「ちゃんと鍵をかけて用心しなさい!」

と。
でもちょっと考えてみてください。

中にあるたった数十円のためにいったいいくらの鍵をつけるんですか?
つけた鍵は壊されるんですよ!?

と、こうなる訳です。



賽銭泥棒が狙うのはそんなはした金ばかりではありません。

神社もお祭りともなればまとまったお金が一時に入ってきます。
当然、賽銭泥棒にとっては大チャンスです。
お祭りのさなかには明らかに怪しい人が境内をうろうろしていたりします。

しかし、さすがにそこは神主サイドも緊張感を持っています。
人影がなくなればすぐ賽銭集め。
少し大きな神社なら即銀行に預けたりもします。

しかし正月三が日は銀行は閉まっています。
それを狙って夜中のうちに社務所の窓を打ち破りごっそり持っていく泥棒もいます。

「ヤクザ編」で紹介したヤクザに日本刀を奉納された神主さんは、正月は賽銭をつめた袋を枕にし奉納された日本刀を抱いて寝ていたそうです。
ほぼこの人がヤクザです。



たくまの神社には少し変わった賽銭泥棒がやってきます。

神様に相当恨みがあるのか、賽銭を持っていくだけではなく賽銭箱の前(というより神前)にウンコをしていくのです。
明らかに人糞。

たくまの父は賽銭を護るべく、人糞と闘うべくダミーカメラを設置しました。(あくまでダミー)
そして

「神前にウンコをする方、次にしたら映像を公表します」

と警告の貼紙をしました。

どこに「公表」するんだ?
と泥棒も悩んだかも知れませんが、これを境にぴたりと止みました。
泥棒も恥ずかしかったのでしょう。


ダミーカメラは今のところ成功していますが、過去にダミー警報器(ただのブザー)を設置したときはまったく効果がありませんでした。

泥棒が賽銭箱の蓋を開けるとブザーがなるようにしていたんですが、神社に行くと毎日毎日ブザーはなりっぱなし。

ふてえやろーだなと思っていると、ついに!
父が現行犯で泥棒を捕まえたんです!!

捕まえてわかったことなんですが、その泥棒、耳が聞こえない人でした。
そりゃブザーも効かんわ(笑)

苦笑いで泥棒を帰してあげた父なのでした。



注)このブログの内容は一部の神社のエピソードであり、神社全般に共通するものではありません
【2006.03.16 Thursday 10:52】 author : たくま
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神社裏話〜ヤクザ編〜
神社には顔に傷のあるこわ〜いおじさんたちに篤く崇敬されるところもあります。

ある神主さんの経験談にこんなのがありました。


黒くてでかい車が社務所前に停まり数人のいかついおじさん方が降りてきます。
ずかずかと社務所に向かって歩いてくると思ったらその手には、な、な、なんと日本刀が!

「神社に討ち入り!?」

と焦る神主さんにその方々はすっと刀を突き出し次の一言

「奉納じゃ」


(奉納かよ!)

と心の中でつっこみつつ、あくまで平静を装って

「ご苦労様です」

と日本刀を受け取ったそうです。

その神主さんによると、これは銃刀法対策ではないかということです。
なるほど〜という感じですがあまり笑えません(笑)


また、こんな経験をされた神主さんもいらっしゃいました。

上と同じようにごつい車からずかずかと降りてくる黒服の集団。
社務所の巫女さんに小さなガーゼに包まれたモノを差し出します。
かすかにアルコールのようなホルマリンのような臭い。

巫女さんが

「これはなんですか?」

と聞くと、

「指じゃ」

とのこと。
ゆ、ゆ、ゆ、ゆび〜!?
おじさん続けて

「これを祈祷してくれ」

そしてこの日の祈祷の当番がこの研修で出会った神主さん。

「祈祷言うて何を祈祷すりゃあえんなら」

と戸惑う彼に先輩の神主さんが

「こんなんもわからんのか。ほんならわしに任せとけ!」

と祈祷を買ってでてくれたそうです。

(どんな祝詞(のりと:神様へのお願い事)を読むんだろう?)

参考にと祈祷を見学すると、先輩神主の上げた祝詞は「身体健康」だったそうです。

「いや、もう手遅れだろ(ーー;)」

とつっこまずにはいられないその神主さんなのでした。


神主になるのはいいが神社はちゃんと選んだ方がいいことを学んだたくまくんでした。


注)このブログの内容は一部の神社のエピソードであり、神社全般に共通するものではありません
【2006.03.11 Saturday 05:34】 author : たくま
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神社裏話〜美しき日本語編〜
昨日で研修を修了しました。
とても充実した四日間でした。
四日しか受けてないのに長かった。(^^;)


この研修には、講師をしてくださった神主さんを含め、本当にいろいろな経験を持つ方がいらっしゃいました。

その方々のエピソードでたくまのハートをがっちり捕まえたものを、このブログで何回かにわけてご紹介したいと思います。
今日はその一回目


神社には宮司(ぐうじ)という役職の人がいます。
宮司はその神社のトップで、会社で言えば社長にあたります。
たまに神主のことをみんな「宮司さん」と呼ぶ方もいらっしゃいますが、「神主」は有資格者全員を指し、厳密には神主=宮司ではありません。


神社の社長にあたる宮司、その人が一体どういう思想の持ち主か。
それによってその神社の運営のあり方が変わってくる場合があります。


これは、戦前生まれの神主さんが宮司をされていたある神社のエピソードです。

その神社では備品などを購入するとき宮司さんに報告書を提出することになっていたらしいんですが、これがなかなか通してもらえなかったそうです。

例えば、「ボールペン」を購入しようとすると…

宮司「君ねえ、日本人なんだから日本語を使いたまえ」

という一言。
さすが戦前生まれ(爆)!

「じゃあそれなんて書いたんですか?」

というたくまの問いに

「玉筆♪」

とさわやかに答えてくれました(笑)

他にも、プロパンガスは

「家庭用気体燃料」

とか、オレンジジュースは

「みかん汁」

など、想像力溢れる日本語がその神社では飛び交っていたそうです。
日本語って素晴らしい(笑)


注)このブログの内容は一部の神社のエピソードであり、神社全般に共通するものではありません
【2006.03.09 Thursday 15:15】 author : たくま
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何かございましたら、下記のアドレスにご連絡ください。
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