私は今、浦添市の前田・経塚近世墓群という遺跡の発掘に参加しています。
浦添近辺は沖縄戦の中でも有数の激戦地区で、終戦から64年を経た今も、多量の不発弾、ガスマスク、薬瓶、遺骨等々が出土してきます。
先日も、壕跡と思われる遺構の中から日本兵三名の遺骨がまとまって発見され、沖縄の地方新聞に紹介されました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-150076-storytopic-1.html (琉球新報)
新聞社へ取材を依頼したのは私たちです。
しかし、そこには大きな葛藤がありました。
遺骨をさらしものにしても良いのだろうか?
迷った末、「戦争の記憶が失われないよう」という、もっともらしい理由の元、彼らに「平和」の犠牲を強いることになりました。
それが正しいことだったのかどうか、私にはいまだに分かりません。
私の心配とは裏腹に、遺骨の公表はなかなかの反響でした。
問題意識の高い人々が、直接現場を訪れ、手を合わせて行かれました。
しかし、中には、こんな驚くべきことを口にする人達もいたのです。
おじさん「あなた達はこの遺骨をこれからどうする訳?」
たくま「調査しながら取り上げた後、県の援護課に引き継ぐことになっています。」
お「取り上げる訳?保存はしないの?」
た「いえ・・・骨の状態も良くないですし、早く取り上げてあげようと思っていますが・・・」
お「状態が良くないなら、レプリカを作るとか、薬品で固めて保存するとかできるだろう。」
た「・・・その予定はないです・・・」
お「こんな凄いものを平和教育に生かさないのか!?」
た「・・・と、言われましても・・・」
お「(こいつじゃ話にならんといった様子で) 後で(たくまの上司に抗議の)電話をしよう。」
あなたは、自分の親族が固められ、さらしものになって平気なんですか?
何か、「平和」という概念だけが一人走りしている気がするのは私だけでしょうか?
目の前の遺骨に個を見ない、その遺族を想わない、
そんな口先だけの「平和」が、一体何を生み出すのでしょう?
終戦から64年を経た今、戦争に対するリアリティは、
ココ沖縄でさえ、これほどもまでに薄れてきているのか・・・